水の神様を訪ねる 48 見沼代用水西縁と 瓦葺氷川神社

瓦葺掛樋跡から西へ、見沼代用水西縁に沿って整備されている緑のヘルシーロードを水田沿いに200mほど行ったところで、北へと道を曲がると少し上り坂になり、綾瀬川の段丘上と思われる広々とした場所に出ました。

畑のそばに野草が広がっていて、薄いピンク色の長細い花が見えました。すわ、ツルボかと近づいたのですが、別の花でした。名前はなんというのでしょう。

 

次の目的地は氷川神社です。

交差点の向こうに鎮守の森らしき場所が見えました。

瓦葺氷川神社で、その後由緒が道に面したところにありました。

学問とスポーツの文武両道守護神

 当、瓦葺氷川神社の創建時期については、永正三年(一五〇六)八月十日武蔵一の宮を遷す。(武蔵国郡村詩より)、明治四十一年(一九〇八)同大字中の神明社荒神社、天神社を合祀。とあります。

祭神は素戔嗚尊で家内安全、厄除けの神、縁結び、安産の神、学童成就、五穀豊穰、商売繁盛等々の守護神として参拝されています。

催事は元旦祭、節分祭、九月十日の例大祭が行われております。平成二年十月二十五日には、菅原道真公で知られる、京都府北野天満宮から文霊を受けて境内に天満宮を創建。「学問の神」として受験シーズンには、参拝者が多く見られます。また昭和六十三年七月から埼玉県の高校野球の名門校である浦和学院野球部の皆様や関係される方々が、毎年県大会が始まる前に、安全祈願、必勝祈願を斎行し、お守りを受けております。最近、浦和学院の活躍で「スポーツの神」としても知られるようになり、近隣のスポーツ少年やリトルリーグチーム、成人の野球チーム等々が参拝や祈願に訪れるようになりました。学生にとっては学問とスポーツの神として実に頼もしい神社とされています。

境内の三輪ではグランドゴルフを楽しむ近隣の高齢者達が集い、毎日健康づくりを行なっております。また、境内のお掃除、草取り等で、とても綺麗に使って頂いております。

境内に展示の大石に銘が彫られています。「奉納 力石 三十メ石 瓦葺村 叶」。内容については力石の後方に起源と歴史の紹介があります。

 

てっきり水の神様だと思って訪ねたのですが、学問とスポーツの神様だとは。

 

ただ、見沼代用水の「設計および測量」の図をみると、1728年(享保13)にはまだ見沼溜井という大きな沼があった頃、この氷川神社は見沼溜井の北西端近くの高台に位置するようです。

その当時は、まだその沼を農地に変え安定して水を得ることで五穀豊穣を祈り、水不足にも洪水からも守られる家内安全が願いだったのだろうと想像します。

 

そして近隣の神社が合祀された1908年(明治41)は瓦葺掛樋が鉄製に改造された年ですが、このあたりの風景はどんな感じだったのでしょう。

 

安定して農業ができるようになり、人口が増え、そして経済的に安定して受験戦争の時代に入った昭和末期から平成の時代へと、水の神様に求められることも変化したのかもしれませんね。

 

 

 

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