水のあれこれ 203 馬淵大堰

最近、散歩の記録が2ヶ月遅れになっているのですが、ようやく10月下旬のただひたすら川と海を見に岩手県と青森県を散歩した3日目の記録になりました。

 

また真っ暗でカシオペア座が真上に見えている早朝から窓の外を眺めていると、4時5分ごろに歩いて出勤する人の姿がありました。

都内だとまだまだ真っ暗な時間ですが、5時をすぎるとうっすらと空が明るくなって、5分刻みで明るくなっていきました。5時21分、目の前に見えるJR本八戸駅に回送列車が入ってきました。

早朝から働いている人に支えられていることを感じる時間帯ですね。

 

八戸は9度、快晴。7時25分発の八戸線久慈行きに乗る前にもう一箇所行きたいところがあったので、6時にはホテルを出発しました。

6時10分に日の出、南から昇ってきたように感じて方向感覚を失いました。

 

*馬淵大堰を目指す*

 

本八戸のどこを歩くか計画を立てていた時に、本八戸駅の西側から馬淵川へまっすぐな水路を見つけました。たどっていくと、三八城公園のそばで向きを変え、その先に「左水門下」「右水門下」という地名があります。

川ではなく用水路のようで、どこから取水しているのだろうとたどると、馬淵大堰がありその少し上流川からのようです。

馬淵大堰のそばには堤防沿いに馬淵川緑地とまぶち公園があり、馬淵川の最下流のあたりを眺められそうです。

 

ホテルを出発してすぐに水路沿いに歩きました。

地図の水色の線というのは、支流で流れ込んでいるのかそれとも川から取水した水路なのか見ただけではわかりにくいのですが、実際に歩いてみて馬淵川から市内へと水が流れていました。

少しだけ残っている畑のそばを歩き、堤防が見えてまぶち公園に到着しました。

 

堰の建物も間近に見え、堤防の上を散歩している人の姿も見えました。早く堤防の上に上って、馬淵川の水面を見たい!

ところが、このまぶち公園と堤防の向こうの馬淵川緑地の間には引込み線がありました。

どこから堤防に上れるのだろうと地図を見ましたが、どうやら数百メートル離れているようです。そこまで行くと予定していた列車に乗れなくなりますから、断念しました。

 

朝日に輝く馬淵川の水面は幻想に終わり、堤防の土手だけを眺めて本八戸駅に戻りました。

 

 

*馬淵大堰*

 

馬淵大堰について検索すると、国土交通省東北地方整備局の2014年の資料がありました。

馬淵大堰の施設概要

馬淵大堰は、馬淵川2.6km付近に位置し、河道維持、塩害防止および各種取水の安定などを目的に造られた河道堰である。昭和55年に完成し、現在まで約30年間供用されている。

 

この資料は、「操作規則変更」のために公開されていたようです。

今回の操作規則変更の経緯

馬淵大堰は昭和55年に完成し、これまで度々、社会的背景の変化などにより操作規制の変更を行ってきた。従前の操作規則は平成18年7月22日より施行してきたが、平成23年3月の東日本大震災を踏まえた「堰・水門の設計、操作のあり方」が、平成23年9月に国土交通省の学識者委員会により提言されている。特に、利水を目的に持つ堰においては、堰の開閉操作や津波によるゲートの損傷によって利水障害が生じないように検討し、津波発生時の操作規制を見直す必要があった。また、異常渇水時の操作については、これまで具体的な基準が示されておらず、実効性のある操作規制を目指す必要があった。

 

東日本大震災を踏まえた河口堰・水門のあり方について(案)」(国土技術研究センター、平成23年)の「河川津波の俎上」で、当時馬淵川津波到達地点は河口から約10kmであったことが書かれていました。

 

「度々、社会背景の変化により」

40年ほど前に堰が完成した頃は、このあたりの街の風景はどんな感じだったのでしょう。

堰からの水路は途中で北東の沼館へと水路が分かれて残っているのですが、この地域には水田がつくられたか、それともその先の八戸港や工業地帯へと送水されるためだったのでしょうか。

 

地図で見つけた一本の川や堰から、実際に歩いてみるともっとその地域の歴史を知りたくなりますね。

そんなことを考えながら本八戸駅に戻る途中、気のせいかお酒の香りが漂っていました。

酒造メーカーの工場がありました。

 

 

「水のあれこれ」まとめはこちら