今日のタイトル、日本の地理は「ひろいな」というのか、それとも「幅がひろいな」のほうが正解なのでしょうか。
5月に東北の一部を回って車窓から見たり、少し歩いただけですが、感じたのが今日のタイトルでした。
関東平野を抜けると、小学生の頃に学んだように日本には背骨のように山々が連なり、わずかの平地に人が集まって暮らしていることを実感しました。
水が地形を作り、そしてその川も背骨の山脈に沿って長い流れを作っているのが東北の川の特徴でしょうか。
山の風景もまた違いました。
標高の低い山々の間に、鳥海山のようにポツンと雪が残っている山が見える風景が、上越新幹線の長いトンネルに入るまで続きました。
川や用水路の水量も違うように見えました。
今回、「トンネルを越えるとそこは雪国だった」の反対の方向で上越から関東へと戻ったのですが、「トンネルに入るまでは水田だったが、トンネルを抜けると畑だった」に変化しました。
こんなに違うのかと検索して見たら、「群馬用水の昔・今・未来へ」という記事がありました。
むかしから・・・
赤城山・榛名(はるな)山のすそ野は、水の少ない地域でした。このため農家の人々は田んぼの水に苦労しており、はるか下に流れる利根川の豊富な水を使いたいと、長い間願っていました。
この願いをかなえるため昭和39年〜45年に「群馬用水施設」が水資源開発公団により建設され、たくさんの水が使われる米づくりが標高の高いところでもできるようになりました。
車窓の風景からはまだまだ見えない歴史がたくさんあるのですね。
*方向感覚を失う*
日本の地理は幅広いなと感じた今回の小旅行ですが、その中で印象的だったことがあります。
気候も風景もグラデーションを描くように少しずつ変化していく中で、1日目に秋田から酒田へ向かう途中、突然、方向感覚を失いました。
地図が好きなので、だいたいの地図は頭に入っていたはずです。
ところが、日本海へ夕日が傾いていくのを車窓から見ていたら、なんだか東へと日が落ちていくようにしか感じられなくなったのです。
翌朝、鳥海山を眺めながらどの方向から日が昇るのか確かめましたが、今度は西から昇っているように感じるのです。
ネット上でも東北や北陸では「太陽が海の左に沈む」ので、やはり方向感覚がおかしくなる方々がいらっしゃいました。そして反対に太平洋側の「太陽が海の右に沈む」こともまたしかり。
東北や北陸だけなのかと思ったら、先日地図を見ながら母の思い出話を聞いていたら、偶然、母も同じような経験をしていたことがわかりました。
戦争中に、海軍に入る叔父を見送りに大分まで行く途中で、汽車の窓から見えた夕日の位置が変だと感じたそうです。
国東半島のあたりでしょうか。
そばにいた若い軍人さんが説明してくれたけれど、よくわからないままだったと。
日の出・日の入りの「感覚」さえ、日本各地で一様ではないなんて考えたこともありませんでした。
そんなことを考えていたら、「地理」ってなんだろうと。
1. 地球上の海陸・山川の分布、気候・生物・人口・都市・産業・交通などの状態。
2.その土地の事情やようす。
(デジタル大辞泉)
そもそも土地に対する感覚でさえ一様ではないですものね。
歩けば歩くほど知らない世界がひろがっていきますが、鶴見良行氏が書かれたもう一度こまかな事実をきちんとだしていくことが重要で、あまり理論化を急がないほうがよいということは社会全般に言えるなあと思い出しました。そしてなににしても感情移入という自分中心主義に陥らないように気をつけながら「世界」のひろさを実感できたらと思ったのでした。
「世界はひろいな」まとめはこちら。