水のあれこれ 204 もう一つの久慈川

八戸線から久慈駅に到着したのが9時2分で、三陸鉄道の乗り継ぎに1時間半あります。

散歩の計画を立てるときに、久慈市のどの辺りを歩こうかと地図を眺めました。

久慈駅2本の川が合流する場所の近くにあります。

まずはその川合の先端を目指そうかと思ったのですが、川の名前を確認したら久慈川でした。

 

久慈川といえば2019年8月下旬に訪ねた久慈川をまず思い浮かべていたのですが、ここにも久慈川がありました。検索した限りでは、この二つの久慈川だけのようです。

 

そしてその久慈川左岸にも、地図には「地割」で表示されている場所が書かれています。

どんな風景なのでしょう。川のそばを歩くことにしました。

 

久慈川のそばを歩く*

 

駅前から少し歩くと歩道もゆったりと広い道に出ました。国道281号線で、久慈市から盛岡市を結んでいるようです。

少し歩いたところで山側の道へと左に曲がると、道の駅がありました。国道沿いではなく小さな路地に面した道の駅に不意打という感じでしたが、もしかしたらこちらが旧道でしょうか。

ふらりと立ち寄りたくなるのを抑えて、先を急ぎます。

 

久慈市の名前も10年前にニュースで耳にしましたが、このあたりは昔ながらの家や商店がありました。

目指すのは久慈大明神です。

山肌と道に挟まれたような場所にありました。久慈川水の神様かと想像したのですが由来はわからず、石碑には「寛政2年」(1790年)に建てられたようなことが書かれていました。

 

ここから右手の久慈川へ向かいました。

一旦、橋の上で上流の方を眺めると、なだらかな山が見えました。左岸側もなだらかな山です。

水のすぐそばを歩けるようになっていて、その遊歩道を歩きました。

水は澄んでいて、草が生い茂る中をゆったりと蛇行しています。

その水のすぐそばには、川に向いて座れるベンチがところどころにありました。

散歩をしている人とも時々すれ違って、会釈をしました。

こんなに近くで川をぼーっと眺めながら過ごせるなんてうらやましいものです。

 

こちらの地名の由来はわからないのですが、もう一つの久慈川の「名称の由来」のように「近くに小さき丘あり。かたち、鯨鯢に似たり」を思い起こさせるような風景でした。

 

 

*「東日本大震災 久慈市の記録」*

 

この久慈川津波が来て大きな被害があったと思うのですが、その河原に新しいベンチが造られていることが印象に残りました。

 

東日本大震災 久慈市の記録」が公開されていました。「久慈市の被害状況」では津波の波高8.6m、河川遡上4kmとありますが、「浸水範囲」の写真を見ると川合よりも海側だったようです。

そしてあの陸中夏井駅のあたりから久慈湾へと流れ込む鳥谷川の河口付近の湊町のあたりも浸水しているようです。

平成23年3月11日(金)14時46分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生し、久慈市でも震度5弱を観測しました。地震により市内全域で停電と断水が相次ぎ、14時49分には大津波警報が発表。約40分後、大津波が沿岸部に襲いかかりました。

何度も何度も街を襲い、漁港や工場、家屋などを飲み込んだ津波

信じられない、信じたくないような惨状が沿岸部に広がりました。

家屋の被害は1,248軒と書かれていました。

 

八戸駅からの三陸海岸の海岸線がなだらかな地域は小さな沢はあっても大きな川がない風景でしたが、久慈駅の周辺には川の流れがありました。

久慈駅に到着したときには、なんだか久しぶりに川を見た気持ちになりました。

 

久慈川右岸側はお寺や昔からの家が続く旧市街地の佇まいで、対岸の「地割」の住所がある地域は新市街のようにみえましたが、どんな歴史や生活が川とともにあったのでしょう。

 

 

 

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