行間を読む 134 さまざまな「行間」の視点がある

中学生や高校生の頃は歴史が苦手でした。

嫌いなのではなく授業はそれなりに面白かったのですが、歴史を暗記することがとても苦手でした。

自分の記憶力が優秀でないから苦手なのだろうと、サクサクと歴史を暗記できる人はすごいと思っていました。

 

年号を暗記することはなんとかできても、誰々と誰がどういう関係で何が起きたということを覚えるのが不得手で、それは今でも他人の人間関係を覚えるのは苦手なので小説やドラマも苦手です。

 

20代の頃から大型書店の棚から棚を眺めて、どこにどんなジャンルの本があるかわかるぐらいになったのに、意識的に避けていたのが歴史のコーナーでした。

一冊買っても、きっと途中で挫折することがわかっていましたから。

 

「歴史」を違った視点から読めるようになったのが、吉村昭氏や三浦綾子氏の小説でした。

「今の社会をたどっていくと、ここに何か変化のきっかけがある」という視点があったからかもしれません。

時間の方向を過去から現在でなく、現在から過去へと変えてみたら歴史が面白く感じるようになったとでもいうのでしょうか。

ただ、まだ自分が関心がある分野をちょっと垣間見る程度の「歴史の学び方」でした。

 

最近は、地図で見つけた川やそこにあるものを実際に訪ねることで、どうしてなのだろう、何があったのだろうどんな生活があったのだろう、時代の変化はどんな感じだったのだろうと関心が広がり、あの高校生までに学んだ歴史や年表がようやくつながってきました。

 

暗記したそばから忘れていったように感じていたのですが、案外、あれはあれで基礎になっていたのだと感じるこの頃です。

 

記憶力はもっと落ちたけれど、それを上回る理解の仕方は積み重ねられてきたと思うことにしましょう。

ただ、正しさや理想だけを求めすぎないように、今年もブログに記録するときには注意していこうと思います。

 

あれ?年頭の挨拶のようになってしまいました。

読んでくださる方、コメントやはてなスターやブックマークをくださる方、ありがとうございます。

 

 

 

 

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