西明石からJR神戸線に乗ると、右手には溜池が散在している地域が続きます。祖父母の家に行くときに溜池がある地域との雰囲気の違いを漠然と感じて印象に残っていました。
紙に印刷された地図を見ていた時代にはわからなかったのですが、自由自在に拡大したり、航空写真に切り替えられる地図を眺めるようになって、その場所を見て息をのみました。
まるでパッチワークのように大中小さまざまな溜池が、無数にあります。
近くには大きな加古川が流れています。
ところどころ加古川左岸に、この溜池がある地域と水色の線でつながっているのですが、それが取水しているのかそれとも加古川へと流入しているのか地図ではわかりません。
雨水だけの溜池なのか、それともどこからか取水しているのか、穴のあくほど地図を眺めていたところ、「淡山疎水(たんざんそすい)東播用水(とうばんようすい)博物館」があることに気づきました。
住所は「加古郡稲美町」で、美しい稲が広がる水田を想像しました。
ここをいつか訪ねてみたいと計画していたことが、今回実現しました。
9時36分に土山駅に到着し、タクシーで向かいました。
*淡山疎水東播用水博物館へ*
土山駅を出て北東へと走り始めるとじきに緩やかな上り坂になり、なだらかな丘陵地帯のような場所に工場や水田地帯が広がっていました。
だから加古川という大きな河川があっても水を得られないのかもしれないと想像しながら、大きな溜池をいくつか過ぎたところで下車しました。
広大な水田地帯の真ん中にポツンと2階建ての建物があり、その1階が淡山疎水東播用水資料館でした。
誰もいなくて、自由に入れるようです。
たくさんのパネルとともに自由に持ち帰ることができるパンフレット類が多数あり、その中の博物館についての説明で、このあたりが「いなみ野台地」であることがわかりました。
淡山疎水・東播用水
「淡山疎水」とは、"いなみ野台地"の農地を潤すため、明治時代から大正にかけて開削された「淡河川疎水」と「山田川疎水」を合わせた水利システムの呼び名です。
「東播用水」は、淡山疎水を核にして昭和から平成にかけて整備されたかんがい施設で、東播磨から北神戸地域までの農業用水を供給する広域的な水利システムです。また、東播磨地域や淡路地域などの水道用水も供給しています。
博物館設立の目的とTT未来遺産運動
この博物館は「TT(淡山疎水・東播用水)未来遺産運動」の活動の一環として、平成27年1月、兵庫県淡河川山田川土地改良区と東播用水土地改良区が共同で設立しました。淡山疎水や東播用水の歴史と役割などを紹介することを目的としています。
「TT未来遺産運動」は、淡山疎水と東播用水の多様な機能を発揮させ、農家と非農家の人々が力を合わせて魅力ある農業と地域を創り上げ、100年後の世代に引き継ぐ運動です。
土地勘が全くないので、展示を見てもどのあたりから水が来ているのかよくわからなかったのですが、帰宅して資料と地図をつきあわせて少しずつわかりました。
加古川からの取水ではなく、いなみ野台地の東側を通る栗生線のあたりを流れる山田川と、もう少し北側の淡河町の山陽自動車道にそって流れている淡河川(おうごがわ)という、それほど大きくない2つの川から水を引いているようです。
さらに、もっと北の篠山(ささやま)川などからも送水されているようです。
資料館の外には、疎水の連絡に使われる土管が展示されていました。
土山駅まで帰路はバスを利用しましたが、広々とした田畑やところどころある溜池、そして西側には加古川の右岸側の山が見えます。
川がそばにあっても水を得られない場所を変えた安積疏水と重ね合わせながら、風景を眺めました。
いつかまた、稲穂が美しい季節に歩いて見たいものです。
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