行間を読む 140 ハケ下とハケ上を結ぶ道

矢川に沿った遊歩道は、2018年に歩いた時と同じ、武蔵野の雰囲気が残っています。

 

ただ、都道256号線から左へ曲がってすぐの場所の変化に気づきました。あの時には何があった場所か記憶にないのですが、空き地が囲われています。

道路拡幅工事のための用地のようです。

 

北へと伸びるようですから、いずみ大通りから矢川駅の方へと延伸するのでしょうか。

だとすると、屋敷林の残る農家のあたりもこれから囲まれて風景が大きく変化するのかもしれません。

 

 

*国立の「交通の特性」*

 

半世紀以上も前に立てられた都市道路計画も用地獲得に時間をかけ、少しずつ整備されていることが理解できてきたとはいえ、風景が変わることにも一抹の寂しさを感じながらこの計画について検索していたら、何年のものかわからないのですが、国立市の「交通の特性」という資料がありました。

 

その最初の「位置・地勢」に「ハケ」を見つけたので、引き込まれるように国立の道の歴史を読みました。

国立市は、東京都のほぼ中央部(東経138度27分、北緯35度41分)にあって、東は府中市、西は立川市、北は国分寺市、南は多摩川をはさんで日野市と接している。北部の立川段丘面から、南に向かって青柳段丘面、多摩川沖積低地の3つに分けられ、それぞれの段丘面の境にはハケと呼ばれる段丘崖が存在するが(立川段丘崖、青柳段丘崖)、いずれも勾配は緩やかである。

 

矢川の近くの道路建設用地は、「南部地域の交通基盤」に書かれていました。

1967(昭和42)年には中央自動車道調布〜八王子間が開通し国立府中インターチェンジが供用されている。これに合わせる形で昭和初期に幅員15mに拡幅された甲州街道の車道が拡幅され四車線になるが総幅員は15mと変わらないため歩道が縮小した。この状況は現在でも続いており、都市計画道路(都計道3・4・1幅員16m)としては未整備の状態となっている。

 

いずみ大通りが行き止まりになってぶつかる都道256号線が、甲州街道だったようです。

地図で確認すると、いずみ大通りの他に国道20号線甲州街道から日野方面へは幅が広い道路ができていますが、北側への道はなく、甲州街道で行き止まりになっていました。

一方、国道20号線日野バイパスの本格的な整備が進められたことから、日野市、八王子市方面との連絡が大きく改善されたほか、都計道3・3・15など府中四谷橋の開通と関連する都市計画道路整備によって南部ちいきの幹線道路の整備状況は改善されたが、生活道路の整備は土地区画整理地域内や一般区間にとどまり、路線バスだけでなくコミュニティバスも運行できない地域が残っている

(強調は引用者による)

 

確かに、甲州街道の北側は細い道が入り組んでいて、公共交通機関や緊急車両の通行も大変かもしれません。

 

その資料に、「甲州街道沿道が暮らしの場だった時期」の説明があります。

現在の国立市域には、江戸時代には五街道のひとつである甲州街道及びそれに付随する江戸街道などが通過しており、大正時代末期に、現在の国立市の北部にあたる地域に民間開発が入るまでは甲州街道沿いの地域が暮らしの場であった。現在の国立駅周辺及び東・中・西・北の住宅地には武蔵野の雑木林が広がり、富士見台地域は畑、多摩川沖積地は水田であった。なお、甲州街道は1920(大正9)年の道路法施行に伴い国道となり1926(大正15)年に日野橋が開通している。

 

いずみ大通りは、ハケの下と上を結ぶ道だとも言えそうです。

そしてその先の、これから整備される地域は段丘の上のギリギリのところに通り、人が集まって住んでいた甲州街道沿いであったことから、なかなか整備を進めにくい場所だったということかもしれませんね。

 

なぜそこに道があるのか、いつできたのか。

地形から関心が広がりました。

 

 

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