五竜の滝を見て裾野駅に到着したのが14時半ごろで、まだまだ散歩の時間があります。
ここからは黄瀬川を離れて、箱根のふもとを流れる大場川沿いの公園を訪ねてから、深良用水の水の神様だろうと見当をつけたもう一つの芦ノ湖水神社を訪ねる計画でした。
裾野駅に着いた時にはすでに2万4000歩を越えていて、大場川沿いを歩くのはあきらめて、裾野駅から長泉なめり駅まで電車に乗ることにしました。
*芦ノ湖水神社*
地図で、長泉なめり駅から数百メートル南に芦ノ湖水神社を見つけたときに、「芦ノ湖水神社」というのは深良用水に関連した神社だろうと確信したのですが、検索しても詳細は分かりませんでした。
御殿場線の踏切を渡って50mほどのところに小さな水路が住宅の中を通り、その先に神社があるようです。
境内に入ると、お社の前にその小さな水路が横切るように流れて、隣の住宅へと続いていました。
いろいろな水の神様を訪ねた中でも、珍しい造りです。
その小さな水路の脇に石があり、説明がありました。
供養塔は高さ81cmで、箱根湖水掘抜元〆水仁と刻まれている。地蔵尊は高さ61cmの立像、観音像は高さ40cmの坐像の石仏である。
これらは寛文6年(1666)幕府の許可のもと、4年の歳月を費やして箱根用水を開き、駿東郡下に流水して新田を開いた恩人である友野与右ヱ門・長浜半兵衛・尼崎嘉右ヱ門・浅井治郎兵衛・大場源之丞らの冥福を祈って正徳元年(1711)に祀られ、その後、この芦ノ湖水神社に納められた品々である。
脇指は昭和38年(1963)友野与ヱ門の子孫である友野宏弥氏から奉納されたもので、与ヱ門の愛用していた脇指の内の一口といわれる。長さ55cmで、銘は兼長である。
お社は木製の質素な造りでしたが、真上に「水」と彫られたものが掲げられていました。
境内はきれいに掃き清められていました。
頑張ってここまで歩いてきてよかったと、満ち足りた思いでバス停へと向かいました。
この神社がある辺りは水田も少し残っていましたが、幹線道路沿いに住宅や会社などが広がっていました。
ところで、「なめり」とはどんな意味があるのだろうと気になっていたのですが、地図を拡大した時に「納米里」という地名が目に入りました。
おそらく、この辺りも深良用水によって稲穂が実る水田地帯になったのでしょう。
山の上にある湖の水を利用するということを思いつき実現させた江戸時代の人たちによって、何不自由なくお米を食べられる時代になったのかもしれませんね。
さすがに3万歩近くなると疲労困憊で思考もおかしくなってくるのですが、「こんなに広い水田地帯に水を通したら、芦ノ湖の水は無くなってしまうのではないか」と思いました。
あの芦ノ湖はどうやって水が確保されているのでしょう。
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