記録のあれこれ 118 「水の郷構想」源兵衛川遊歩道、川の中を歩く

千貫樋のあたりは、南北へと少し低くなっているので尾根のような場所に見えました。

千貫樋の説明板があったのは「加屋」という地名ですが、交差点に「茅町」と彫られた小さな石碑がありました。が生い茂るような場所だったのでしょうか。

 

16世紀に、水を効率よく分配できるような土地を選び樋をかける発想や技術があったことをあちこちの散歩で気づくようになり圧倒されています。当時の人が想像もつかない高度に発達した現代社会ですが、むしろ昔の技術があったからこその現代なのだという思いが強くなってきました。

 

さて、歩き始めて2時間半ほどで、すでに1万歩になりました。お天気はまだ午前中は持ちそうですから、ここから東へ500mほどニノ乗御殿通りを歩いて、駿豆(すんず)線三島広小路駅の少し南側の水色の線を目指しました。

 

*源兵衛川水辺の散歩道*

 

橋のそばに「源兵衛川水辺の散歩道」と標識があり、川のそばへと降りられるようになっています。

 

細い板がずっと水の上に渡してあり、途中で人がすれ違う際に待つためのコンクリートの円柱があります。

散歩の二日目ですし、朝からアップダウンの地形をずっと歩いていたので少々疲れて平衡感覚が鈍り、その遊歩道から水に落ちそうになりました。

 

落ちないように緊張しながらしばらく歩くと、竹藪や雑木林の中で水が二手に分かれた「水の苑緑地」になりました。

 

「水の郷構想」という説明がありました。

 富士山の南東麓に位置する三島市、清水町は、富士山の雪どけ水がまちの各所に湧き出す、水と緑に彩られたまちです。

 このエリアには柿田川や源兵衛川などの湧水に由来する名高い水辺のほか、楽寿園や千貫樋など水に関わりの深い名所旧跡が点在します。

「水の郷構想」は、豊かな水環境が持つ魅力や歴史、文化を最大限活用したまちづくりを進めるため、地域の皆さんや関係団体・行政が一体となって取り組んでいく指針です。

 静岡県、清水町、三島市は構想の実現のため、緑豊かな水辺が点在する三島駅から柿田川を結ぶエリアを対象に、親水拠点が持つ魅力を磨きげる「拠点整備」と点在する湧水拠点同士のつながりを強化し、水の郷全体のネットワークを向上させる「広域対策」に取り組んでいます。

 

この日の散歩してきた場所が、まさに「水の郷」でした。

 

この川も楽寿園の小浜池から流れているようで、市街地の真ん中にある源兵衛川親水公園のそばを歩いたことはありました。

最近流行りの、おしゃれな水辺の観光施設かと思ってその時には通り過ぎたのですが、こういう背景があったのですね。

 

住宅地の拡大で1962年(昭和37年)には湧水がゼロになったこともある小浜池ですから、この源兵衛川はどうやって水が保たれているのだろうと思ったら、「THE伊豆ジオ遺産」にこんなことが書かれていました。

源兵衛川はもともとは、小浜池の湧水を水源として、下流域の田畑の灌漑用水として使われていました。湧水量が減少したので、工業用水として利用された柿田川の湧水の一部を還元してせせらぎを再生してきました。

 

その柿田川も1970年代ごろは「排水のたれ流しにより水質が悪化し、魚も住めない状態」だったのですから、なんとも凄まじい歴史がさらりと書かれています。

 

経済的に豊かな生活を求めるということはただ単にものが増え便利な生活というだけでなく、寿命も30年ほど伸びより安全に一人一人が生きて夢を実現できる社会が実現し始めたという意味であったのだと思うのですが、それによって失われたことを取り戻さなければならない半世紀でもありました。

 

これもまた過去の葛藤があったからこその現在ですね。

 

 

「公害問題」から「環境」という言葉が1990年代に社会に根付き始めた変化を思い返しながら、美しい苑内の川の中に渡された板張りの遊歩道を歩きました。

 

 

 

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