2019年に山梨の信玄堤を見に行った後、身延線に乗って富士川沿いの風景をみました。この時に富士宮に立ち寄り、富士山本宮浅間大社を訪ねました。街のいたるところに美しい水路があり、浅間大社の池は本当に美しい水でした。
この時の記録を書いたような気がしていたのですがありません。最近は2泊3日の遠出の記録も、あれやこれやと増えて1ヶ月近く書いているのですが、3年前はまだあっさりとした記録でした。
その時に、三島だけでなく富士宮市や富士市にもたくさん湧水があることに地図で気づき、いつか訪ねてみようと計画がありました。
特に岳南鉄道の駅で途中下車すると、あちこちの湧水や水路を見ることができそうです。
*泉の郷湧水公園*
浮島ヶ原自然公園を出て、新幹線の高架橋を眺めながら水田地帯を歩くこと半時間、9本もの新幹線を見ることができました。
次回は、新幹線の車窓からこの畦道を見るのも楽しみですね。
周囲には工場もあります。
本当に湧水があるのかなと思いながら少しずつ山側の住宅地へと歩くと、水の音が聞こえ、水路がありました。
たどっていくと住宅地の真ん中に小さな池があります。その美しさだけでも圧倒されたのですが、もう少し登っていくと地図で見つけた泉の郷湧水公園がありました。
ベンチでしばらく水を眺めました。
医王寺の前の山道を歩けばまだまだ水路がありそうでしたが、時間がなくなりそうだったのでまた駅に向かいました。住宅地の中に地図には載っていない水路がたくさんあって、すぐ近くには製紙工場もあります。
新幹線で富士市を通過する時には、水田地帯に製紙工場がたくさんある風景に、あの1970年代ごろの大気汚染こそ改善されたけれど、住んでいる人たちは工場のことをどう思っているのだろうと心がざわついていました。
大事な田畑を、工業化によって手放さざるを得なくなったのだろうと思っていました。
浮島ヶ原の歴史を知って、水田が先ではなく工場誘致が先だったのかもしれないと思ったのですが、どうなのでしょう。
岳南鉄道が山側に廻っていてその周辺に工場が集中しているのも、半世紀前はまだ沼地だったからなのですね。
岳南鉄道比奈駅に到着し、無人駅で一人しばらく電車を待ちました。
目の前は製紙工場と牛乳パックのリサイクル工場がありました。
地域の安定した生活と環境汚染と、長い歴史の中で一つ一つ解決して今の風景があるのかもしれません。
それにしても美しい沿線の水路でした。
いつか、全駅で下車して湧水巡りをしてみたいものです。
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