水のあれこれ 235  水夫

前回の岡山県立図書館、デジタル岡山大百科の「日生の由来」にはこんな続きが書かれています。

時代がくだり、江戸時代になると、日生付近は、幕府や藩の公用船に対する水夫(かこ)労役奉仕の義務が漁民に負わされていたことから「加子の浦」ともいわれるようになった。なお、その義務の代償として、東は播州地先の海面から、西は備中の白石島付近まで漁業権を与えられていたことが、当地区で漁業が盛んになった原因の一つと考えられる。

 

なぜ加子浦歴史文化館を訪ねてみたいと思ったかというと、子どもの頃からの「水夫」の記憶が続いていたからかもしれません。

子どもと言っても、最初に「水夫」を歴史で習うのは中学生でしょうか。「かこ」と読むことが記憶に残り、荒れる海に出て船を漕ぐ何人もの水夫が昔の絵に描かれているのを見ると、なぜか自分がそのうちの一人になったような気分になるのでした。

 

水夫(すいふ)

①船乗り。水手。かこ。ふなこ。特に、船舶乗組員中、甲板部に続し、雑役をする下級船員。

コトバンク、「精選版日本国語大辞典

船頭とかあるいは大名とかの偉い人ではなく、漕ぎ手の一人に自分を重ねるのが不思議なのですが。

 

東南アジアの静かな内湾から外洋に出た時に、高波で船がまるで枯れ葉のように海の表面に叩きつけられる中で水夫の日本画を思い出しました。

 

 

コトバンクの「水手」にもう少し詳しい説明がありました。

水手(かこ)

水主・加子などとも記し、水手・水主は<すいしゅ>とも読む。本来は船乗りの総称であったが、のちに船頭・梶取(かじとり)などの上級船員に対して、配下の下級船員の呼称となった。律令制下では海人・漁民などを夫役(ぶやく)として徴集、あるいは雇用して水手とした。戦国期には軍事上の必要から領主が支配下の漁民を水手に徴用、漁民はこの夫役(水手役)負担に対して魚場占有利用権などを付与された。江戸時代には地域によって形態は違うものの、諸藩は主要漁村を水手浦・御立浦(おたてうら)などに指定して、廻米輸送などに従事させる水手役負担者を確保する一方、浦方に対して占有漁業権を与えている。しかし、民間の回漕業が発達するにつれ、水手役は夫米・夫金に代わっていった。

(百科事典マイペディア)

 

 

その後、東南アジアの漁村をまわったり、国境を越えて海を回る漂海民のことを知ると、自由に漕ぎ手として海原に出ていく人にますます憧れを感じるようになりました。

 

現実の社会では、本当に厳しく危険な立場なのですが、自由に海に自分の手で出ていく、その一点で羨ましさと尊敬の念が湧いてくるのです。

 

 

「かこうら」と聞いて、瀬戸内海の水夫についての資料を見ることができるだろうとつながり、ぜひ水夫(かこ)について知りたいと思ったのですが、またまた行き当たりばったりで次回にということになってしまいました。

 

駅に戻る途中、あちこちから停泊中の船と船がかすりあう音が聞こえてきました。

そうそう、この音も大好きで海辺に惹かれていくのだと、しばし立ち止まって聞き入りました。

 

 

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