行間を読む 145 79年前のドニエプル川

チェルノブイリについては記憶が断片的でしかないのですが、この地名を聞くといつも思い出す友人がいます。

東欧の歴史を専攻していた彼女と知り合ったのは、事故が起こるより3年ほど前でした。

 

当時は、冷戦時代の東側諸国というのはちょっと怖い国々のイメージでしたから、なぜ東欧に関心があるのか不思議に感じていました。おそらく「なぜ?」と尋ねて、彼女もその動機を教えてくれたのだと思いますが、記憶にありません。

1970年代の高校の世界史で習ったのはやはり戦前ぐらいまでで、中世のあたりまでは細かく教わるのに、まだ歴史として検証されていない現代の東欧がよくわからない国々だったのも仕方がないことかもしれませんね。

 

今なら、冷戦が終わる時代の少し前で激動の時代の東欧だったのだと繋がるのですが、それでも彼女が何をきっかけに関心を持ったのだろう、東欧の古い歴史だったのかそれとも現代史だったのか、謎のままです。

 

 

*「ドニエプル川の戦い」*

 

ウクライナの首都キーフの真ん中を流れるドニエプル川ウクライナ語ではドニプロー川)について検索していたら、ドニエプル川の戦いがありました。

 

ドニエプル川の戦い(もしくはドニエプル川下流の戦い)(英語Battle of the Dnieper)とは第二次世界大戦中の1943年に行われた戦いのことである。この4ヶ月の戦いの間、ドニエプル川東岸はソビエト赤軍5個方面軍によってドイツ国防軍から取り戻され、さらに西岸にいくつかの橋頭塁を築くために幾筋かの攻撃渡河の先導となった。その後、キエフは別の攻撃により解放された。

戦争の中でも損害の大きな戦いの一つであり、犠牲者は双方で1,700,000名から2,700,000名と推測されている。作戦はいくつかの小さな作戦活動より形成されており、メリトポル(Melitopol)攻略作戦、ザボリージャ(Zaporizhia)攻略作戦、ピャチハキ(pyatikhatki)作戦、ズナメンカ作戦(Ul.Znamenka)攻略作戦、ドニエプロペトロフスク(Dnepropetrovsk)攻略作戦が含まれていた。

 

まさかの川の名をたどって知った、この現代と混乱しそうな歴史は79年前のことでした。

ただ、この記載は出典もないので不十分とされていますから、歴史をたどるということは本当に慎重に時間をかける必要があることですね。

はるか彼方の東欧の歴史を研究していた友人もまた、正確に記録に残そうとしていたのかもしれません。

 

 

そして今回の侵略戦争の日々流れてくる膨大な情報や価値観の合間に、イデオロギーにとらわれず、わかっている事実とわからないことをきちんと伝えようとする人の言葉が見えてくるようです。

「戦争」とは何か、ちょっと今までの私自身の理解の曖昧さを突きつけられているようにも感じています。

 

 

 

 

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