散歩をする 351 大湊線で再び陸奥湾をぐるりとまわり、津軽平野へ

下北駅から大湊線に乗りました。

平日でしたが観光客が結構乗車していたので、いつも通り列車の最後尾の特等席からずっと遠ざかる線路と風景を眺めました。

 

1980年代に入学したのは全国津々浦々から入学していた助産婦学校だったので、この下北半島出身の同級生もいました。

青森県というだけで遠く感じたのに、さらに下北半島を思い描くとなんともはるばる遠くからという印象でした。当時はまだ東北新幹線が盛岡までしか通っていなかったので、そこから在来線とこの大湊線に乗り継いで休暇の時には帰っていたのでしょうか。

当時は何時間かかったことでしょう。彼女のことを懐かしく思い出しました。

 

行きのバス路線とは違って、線路はずーっとまっすぐです。駅を出るとまるで高原列車のような森の中を走り、時々海岸沿いになり、小さな川をこえ、ところどころ家や畑が整然とありまた森の中を走りました。

窓の外にはたくさんの小さな虫がいて、窓ガラスに打ち付けられたままになった姿もあります。野田知佑氏が夏のアラスカの川で蚊柱に苦闘していた状況を思い出しました。

しばらくするとずっとまっすぐな海岸線を走りましたが、風が強いのでしょうか、家は一軒もない地域でした。

 

再び野辺地駅から青い森鉄道に乗り、今度は山側の風景を眺めながら青森駅へと戻りました。

 

 

*初めての津軽平野へ*

 

いよいよ津軽平野へと向かいます。

奥羽本線に乗りました。ちょうど帰宅する学生さんや通勤の人がいっぱいの時間のようです。

風景を見るために立つことにしました。

一旦、八甲田山が見えなくなり山あいに入り、南へと向きが変わったあたりで山の向こうにまた八甲田山が見えました。大釈迦駅のあたりからは田植えが終わった水田が美しく広がりました。

 

「すごいなあ、こんな寒冷地でも水田地帯が広がっている」と見入っていると、進行方向の右扉側から西日が入り始めて、このあたりからまた方向感覚がおかしくなりました。

全国を訪ねるようになり、しばしばこの感覚におそわれています。

右手に岩木山、左手に八甲田山が見えるので、頭の中の地図そして手元のiPhoneのマップとで、かろうじて自分がどこにいてどこに向かっているのか認識できている感じです。

 

少しずつ線路がまた南西へと向きを変え、17時18分に川部駅に到着しました。

5月中旬の夕方というのにジリジリとした暑さの中、ここで20分ほどホームから駅周辺の水田をながめ、17時38分の五能線に乗り、一日目の宿泊地である五所川原に向かいました。

 

いつか絶対に乗ってみたいと思っていた五能線です。

弘前からの帰宅する高校生でいっぱいの列車が、この川部駅スイッチバックしてぐいと北へと向かって走り始めました。また方向感覚がおかしくなりました。

 

車窓の左手にずっと岩木山が見えます。どこまで行っても岩木山とともに列車が走っていきます。

五能線の沿線はそれまでの水田の風景から一変して、ずーっとりんご園の中です。

岩木山の麓に広がる緑のりんご園に、ちょうど白いりんごの花が咲き、これもまた「青い森」の風景ですね。思い出すたびに鳥肌が立つような美しい風景です。

 

りんご用の大きな倉庫があり、藤崎駅には「ふじりんごのふるさと」とありました。

またしばらく沿線にはどこまでもりんご園が続く風景に圧倒されていると、板柳駅のあたりで住宅地が増え、水田が広がり始めました。

田植えが終わった時期で、水田に鴨やさぎがいました。あちこちに水路が見え始めました。

 

岩木川にぐいと近づくあたりで、水田へと水路が伸びているのが見えました。

 

いよいよ、明日はこの水田地帯と承水路の歴史を歩きます。

思い切ってきてみて良かった、と岩木山の麓の風景に惹き込まれながら、18時6分に五所川原駅に到着しました。

 

 

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