散歩の記録を書きながら地図を見直すと、行く前には目に入らなかったことがたくさん見えてきて、実際に歩いた街の雰囲気とともに思いを馳せる時間になります。
寺沢川から樋の口あたりを地図で見ると、地名から城下町の記録になっていることがわかりました。
富田の清水のあたりは紙漉町で、お城に近づくにつれて、銅屋町、桶屋町、元大工町、馬屋町、鷹匠町、元寺町など仕事に関連した町名で、郊外にいくにつれて河原町、茂森町、桔梗野といった地名や、新寺町があります。
岩木川のすぐそばに紺屋町があるのは、きれいな水をたくさん必要とする染織のためでしょうか。
塩分町というのも興味深いですね。
そういえば、弘前大学医学部附属病院の犬の像の前には古い家があり、300年前の梅が植わっていました。現在は弘前市相良町になっていますが、どんな歴史があるのでしょうか。
現代では外からふらりと訪ねただけではあまりわからないことも多いのですが、城下町に住んでいる方々にとっては歴史とともに何か雰囲気が残っているのでしょうか。それとも、現代にも深くその人間関係や歴史が繋がっているのでしょうか。
*津軽のテレビ番組から*
遠出の散歩の楽しみの一つは、その地域のローカルニュースや番組を見ることです。
ホテルですぐにテレビをつけると、津軽地方のニュースを伝えていました。新型コロナウイルス感染症でむつ管内で91人が入院とのことで、「むつ管内」がどれくらいの範囲なのだろう、入院対応している病院はどこだろうと、車窓から見えた地域のことを思い出しました。
「岩木山で熊に襲われた」ニュースもありました。今日、五能線やタクシーの車窓から眺めていたりんご園が麓に広がる美しいあのあたりだとわかりました。
今日は一日中快晴でしたが、「海上では濃霧注意報」が出ているようです。
番組の中に「青森、なんの音?」というコーナーがあり、ブンブンと蜂の音が流されました。
「マコメバチ」の羽音で、りんごの授粉を助けてくれるそうです。
これまた、車窓から見えたりんごの白い花を思い出しました。
つぎに「お国言葉で川柳、わげもの編」という「若者」の津軽弁での川柳の特集がありましたが、まったくわかりませんでした。
そういえば、五所川原から乗せていただいたタクシーの運転手さんは私より一世代ぐらい上の方でしたが、私に合わせて標準語で話してくださったのでしょうか。
そのおかげで私は自分がしゃべりたいことをペラペラと話していたのですが、きっと運転手さんは私がお願いした「地元の運転手さんでも戸惑うわけのわからない道」を運転しながら、頭の中では私の話に返答するために津軽弁から標準語へと切り替えながら話をしてくださっていたのだと、ちょっと冷や汗が出ました。
東南アジアのある地域で暮らしていた時に、カタコトの地方の言葉と英語で双方がたどたとしく会話しながら、な〜んとなく通じ合って、地方の言葉とその国の標準語も話せてさらに英語もわかるのですからマルチリンガルな文化に驚いたのでした。
タクシーに乗って最初に土淵堰をみたいと告げてからはしばらく、私を観察していたのでしょう。
水田や水路、岩木川に感動する私が何を求めていたのか次第に伝わったのかもしれません。
言葉がわからないというより、お互いの生活背景がわからないと理解し合う一歩は遠いのかもしれませんね。
そんなことを弘前のホテルで観たテレビ番組から考えたのでした。
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