落ち着いた街 22 五所川原に泊まり十三湖へ

18時6分に五所川原駅に到着しました。日没まであと1時間ちょっとです。

1日目はまだ1万歩ほどしか歩いていないのになぜか疲労感があったのは、久しぶりの夏のような暑さと、大湊線奥羽線などずっと立って乗車していたからでしょうか。

すぐにホテルにチェックインしたのですが、せっかく来たのに街の様子を見ないなんてもったいないと出かけました。

 

中心部は歩道も広く歩きやすいのは、やはり雪国だからでしょうか。

しばらく歩くと交差点に大きな建物があり、立佞武多の館でした。そういえば、駅の横にも佞武多の絵が書かれた大きな倉庫のような場所がありました。地図で見つけた時には何と読むのかわからなかったのですが、現地に来て「たちねぷた」だとわかりました。青森のお祭りとすぐに思い浮かぶのですが、「侫」という字は人生の中で一度も使ったことがなかったし、「ねぶた」だとずっと思っていました。

 

Wikipedia五所川原立佞武多を読むと、1996年に80年ぶりに復活した事が書かれていました。

この立佞武多と呼ばれる山車は、禊ぎ祓いとして行われた夏の行事において、燈籠を造られていたものがいつしか組み人形として作られるようになったのが原形と考えられている。明治時代から大正時代にかけて巨大なものとなり、市内の豪商や集落などで競って作られていた。しかし、電線が市街地に張り巡らされたことにより、巨大な山車の運行が困難になり、立侫武多は低形化された。結果、立佞武多そのものが幻となってしまう事となった。

市内の中心道路の周辺がゆったりしていたのは、このために電線が地中化されていたのでしょうか。

 

市内のどこからでも岩木山が見えるので、行き当たりばったりに小さな路地に入っても道に迷うことはなさそうです。岩木川の堤防に登ってそこでぼーっと川面を眺めたかったのですが、日没までに夕食の場所を探す必要があったので先を急ぎました。

 

岩木川のすぐそばに建っている大きなつがる総合病院、牧水公園を過ぎ、地図で見つけていた水色の池のような場所を目指しました。

堤防から150mほどのところに柳町児童公園があり、そこに池のような場所がありました。

「想定浸水深 3.0m」「ここは海抜8.7m」と避難場所である表示があり、そのすぐ横に、コンクリートの水道管のようなものが展示されていました。

今回の散歩の目的である岩木川沿いの排水や干拓と何か関連があるのかもしれないとおもいついたのですが、よくわかりませんでした。

 

岩木山がしだいに夕闇に隠れ始めたので慌てて食堂へ入りました。

食事が終わった時には真っ暗で、幹線道路沿いでも足元が暗いのでつまずきながらホテルへと戻りました。

歩道は凹凸がけっこうありました。きっと雪国で痛みが激しいのかもしれませんね。

 

 

*二日目は十三湖を目指す*

 

翌朝4時前に、ドクターイエローの夢を見て目覚めました。何と幸先のよい朝でしょう。

チェックインした時に空調が暖房だけだったので少し暑かったのですが、今朝はちょうどよい温度でした。

今日も青森は日中、30度近い快晴のお天気のようです。

 

カーテンを開けると、薄明るい中に岩木山が浮かび上がるように見えました。

鳥肌が立つような幻想的な山の姿に、この日はテレビを消してずっと山の変化を追っていました。あの酒田で鳥海山を眺めていたように。

 

子どもの頃に神々しい山のそばに一時期住んでいた時にはあって当たり前のような日常でしたが、離れてみると山の存在というのは大きいものですね。

 

4時過ぎにはぼちぼちと自転車や車で通勤する人の姿が見えました。

雪の時期には、どんな通勤風景になるのでしょう。

近くの神社の森が見えます。風雪に耐え、この暑さにも耐え、それだけもまた神々しい姿だと思えてきました。

 

さて、二日目は十三湖を訪ねたあと、五能線弘前へと戻ります。

通常は先へ先へと進む旅程ですが、今回戻る日程になったのは十三湖を訪ね、そして岩木川周辺の承水路の歴史を訪ねることを全て可能にしてみたいと欲張ったからでした。

 

その日程にちょうどよい宿泊場所として選んだ五所川原でしたが、これから行く十三湖の近くまであたりまで続くようです。

車窓からどんな風景が見えるでしょうか。

 

6時半過ぎにはチェックアウトして、バスターミナルに向かいました。

 

 

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