「世界では新型コロナは過去の話」と言う雰囲気が伝わってきても、通勤時はほとんどマスク姿の方ばかりですし、よそはよそ、うちはうちと落ち着いた社会だなあと思います。
病院に面会に来られた方々もほぼ100%、きちんとマスクをして病院内に入って来られます。
ところが面会中に訪室するとマスクをとっている方がいて、しかも患者さんと至近距離に座って会話をしている様子に驚くことがしばしばあります。
「まれに」ではなく「しばしば」です。
あわてて、申し訳ないけれどご家族でも入院中の方に接する時には必ずマスクをしていただくようにお話しします。
「もし、面会のあと入院中の方が発熱したら、すぐに赤ちゃんとともに退院していただくことにもなりかねませんから」とお話しすると、「えっ」と不意打ちをくらったような反応に、こちらも「(えっ)」と驚きますね。
この感染症が広がって3年たった今になってそこまで大人に注意しなければいけないのかと、その理解の差、このあたりに感染症の対応の難しさがあるのかもしれませんね。
「家族だから」の意識なのでしょうか。
今は家族内での感染へと状況がすでに変わっているのですけれど。
マスクはコートか何かのようで、「家に入ったら脱ぐ(親しい間柄では外す)」と言う感じなのでしょうか。
マスクは唾や飛沫が飛ぶのを防ぐためなのですけれど、どこでこんなに理解がずれていくのだろうとちょっと不思議な感じです。
そしてなぜか「マスクをするか」「マスクをしないか」の感情的とも言えるややこしい話になってしまうのですね。
プールでも他の人のそばでマスクをしないで大きな声で話をしたり笑ったりする人が戻ってきた感じです。
電車の中でも賑やかに話をする人が増えました。こちらはマスクをしているのですが、混雑した電車は至近距離ですからね。
マスクの隙間から漏れる飛沫のシミュレーションが目に浮かぶのですが、なかなか大人の感染症への理解や状況に合わせて行動を変えるのは難しいものですね。
数分どころかわずか1~2分でも喋らずにいられない、しかも声が大きくなる。
マスクをしているからと、何も防がずに盛大にくしゃみや咳をする。
人が至近距離にいるときにおしゃべりやくしゃみや咳をしたら、自分の飛沫はどこへと散るのか、相手に付着させないためにはどうしたら良いかを学んで、社会全体のふだんからの行動を変える良いチャンスだったのですけれど。
3年前までは人の飛沫を前から上から横からもっと大量に浴びていたから年に1、2回は風邪をひいていたのだろうと思いますし、もうそういう時代には戻りたくないものです。
大人へどう呼びかけるかが、今回の失敗から次の「未曾有の事態」へ生かす教訓かもしれませんね。
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