生活のあれこれ 13 生活が成り立たない国でも守ろうとするのが国民

土曜日に異例の国会審議で可決は他のことのために急いだのだろうなと思わせるのが自民党政治の残念なところだ、と長年見ていれば政治の素人でも感じてしまいますね。

 

良いこともしてきたのに、お金の問題あるいは政治家で居続けるための問題でつまずくのがいつもの政治の風景でしょうか。

あるいは大事なことも政局という機を狙って通すことが当たり前に行われて、それがみんなで主体や責任を消し去る社会の雰囲気になるのかもしれませんね。

 

 

*預言と予言*

 

未曾有の感染症なのに過去の話になったかのように話題にもされなくなりましたが、勤務先ではまた通院中の方々やスタッフの新型コロナの家族内感染が増えてきました。

 

妊産婦さんや新生児をどう守るか、院内感染をどう防ぐか、そしてスタッフの欠勤者が増えても通常業務以上の仕事をこなしています。

搬送先を探す状況も逼迫してきていることを感じます。

 

 

この状況は9月初めには予測されていたのですけれど。

さらに、「これから冬の時期にかけてインフルエンザの流行も予想されている。コロナとの同時流行が起き、感染レベルがかなり高いものになるおそれがあるという想定が複数の委員から示された。感染が減少してきたこの時期に第8波に備えてしっかりリスク評価を行い、分科会を開いて、とるべき対策について議論をする必要がある。

 

未曾有の感染症だというのにだいぶ対応策も整いこんなにも正確に専門家から預言が出されていたのに、政治家の皆さんは「もうコロナは終わった」という雰囲気の社会の予言の方を優先してしまったと感じました。

 

 

 

*国民の愛国心とは*

 

そしてこんな波をあと何回乗り切るだけの体力が医療現場にあるのだろうと、「失業」の文字も浮かんでしまいます。

 

分娩施設でいえば分娩数は減少して収入は減ってもひまになったわけではなく、通常医療以上の対応と人員不足の中で「いつもの安全性と快適性」を求められますから、ホント、いつでもまた産科崩壊が起きてもおかしくないかもしれないと思う状況ですね。地域の周産期医療を担ってきた診療所から周産期センターまで、今後どうなるのでしょうか。

産科崩壊という言葉を知らない世代のスタッフも増えましたが、みな将来への不安や疲労感は溜まっていてもなんとか乗り切ろうと働いているのではないかと思います。

 

ふだんは政治的な信条は表さないけれど、いざとなれば、こういう未曾有の事態にそれぞれの仕事の責任を全うしようという国民それぞれの気持ちがあったからこその3年間だったと思っています。

 

 

*経済的な感染症対策はどのように決められるのか*

 

今までの「風邪やインフルエンザ」と違うのは、家族で次々と発症することだと痛感します。だから「濃厚接触者」として仕事を休む必要がでてきます。

 

人件費は増やせないから非正規雇用が増え、長く休めば仕事を失います。

かかれば後遺症で長く苦しむ可能性もあります。

仕事を休めば収入が減るのに、物価も税金も社会保険も負担が大きくなっています。

最悪、勤務先も倒産する可能性があるし、誰もが生活の糧を失う可能性があります。

 

 

「社会経済を再開させたい」のであれば、安心して仕事を休むことができて、さらにこの感染症で生活が困窮することへの不安が少なくなることが何よりの経済的な感染対策ではないかと思います。

 

なのに相変わらず聞こえてくるのは旅行への補助とか、国内産の薬とか、お米を配るとか、それじゃあない感ばかりですね。

重税感から一時的にも解放されるとか、勤務先が人員を確保できるようにそして潰れてしまわないといった社会政策が一つでも聞こえて来れば、希望の光もみえてもう少し頑張ろうという気になるのですけれど。

 

やはり経済というのは理論化のための方法論がなく、仮説(思い込み)をそのまま社会に実験し、さらに失敗が社会に与えた影響に対して責任をとるという仕組みがない、占いの世界のようなものですね。

「経済の失敗」とは労働に見合った対価を得ることができずに、どこかへその利潤が消えていくことでしょうか。

 

 

 

現実的な防衛力は大事だけれど、何につけ予言を重んじるような政治家が決めた「国防」は、あの日から信用がかなりなくなりました。

国が潰れる前に、国民の生活の方が先に未曾有の感染症で弱っていきそうですね。

 

 

 

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