散歩をする 402 茂林寺沼から城沼へ

昨年12月初旬に、利根大堰の周囲を見て歩くために日の出前に家を出ました。最初の目的地は館林なので近いのですが、便数が少ないコミュニティバスをいくつか利用する計画なのでこの時間になりました。

家を出て少し歩くだけで、マスクの中が結露し始めました。気温は3度でした。

 

6時台ですでに通勤のために混雑している列車に乗り北千住で乗り換えると、すぐに荒川を越えます。川霧が出て、朝日に霜が輝いているのが見えました。早朝に川を越えて通勤する方は日常的にこんな幻想的な風景を見ていらっしゃるのですね。

西新井駅の手前で富士山がはっきり見えました。草加のあたりでは車の窓ガラスが凍っていて、次第に気温が下がっているようです。何度か乗っている東部スカイツリーラインですが真冬は初めてで、列車が進むにつれて方向を変えながらずっと富士山が見えていました。

 

昨年6月中旬に中川源流と葛西用水路、埼玉用水を訪ねた羽生の懐かしい水田や街を過ぎるといよいよ利根川を越え、この辺りの左岸はどんな風景だろうと眺めていました。すぐに水田地帯が広がり、その向こうに少し雪が降った赤城山も見えます。

茂林寺駅で下車しました。

 

茂林寺沼から城沼へ*

 

駅前に大きなたぬきの焼き物とぶんぶく茶釜の説明がありました。どんな話か忘れたのですが、たぬきといえば「分福茶釜」と思い浮かべるくらい子どもの頃に聞いたことは忘れないものですね。これから目指す沼の名前もそのお寺から来ていることを知りました。

 

目の前にこんもりとした森が見えて、その向こう側に「茂林寺沼湿原」があるようです。

茂林寺のそばに大きなイチョウがあり、黄色い葉でみごとな風景です。その下に小さな祠がありました。

そこを左に曲がると両側にお土産屋さんがある道が下り坂になっていました。その先が沼のようです。「新日本歩く道紀行100選認定コース(ふるさとの道) 茂林寺沼湿原及び分福茶釜めぐり」の地図と案内板がありました。いろいろな散歩の方法がありますね。

 

残念ながらコミュニテイバスの時間の関係で、沼のそばへはいけませんでした。

皇帝ダリア野菊があちこちに咲く晩秋の風景の中、バスはぐるぐると水田地帯や住宅地を回りながら茂林寺沼の北側を通り、館林駅へと向かいました。

 

地図では館林駅のそばを西から細い水路が描かれていて、城沼へとつながっています。ここを歩いてみたかったので六郷公民館前で下車しました。

水路はコンクリートの三面張りでしたが、ところどころに遊歩道のような場所があり、「館林ふるさと自慢百選 鶴生川緑道」の標識がありました。

 

次第に川幅が広くなり両側が雑木林になって、その向こうに城沼が見えました。

9時すぎ、朝日に真っ青に輝き、その遥か向こうに筑波山が見えました。美しい沼と整備された公園内をけっこうな人が散歩しています。

 

鶴生川から城沼の左岸側は起伏のある小高い場所があり、右岸側は比較的平らな場所が続いているようでした。

田山花袋旧居を通ったところ「第二資料館」があったのでふらりと立ち寄ると、「館林の里沼」という資料が目に入りました。ぱらぱらとめくると利根川東遷以前からの川や沼の地図や新田開発についても書かれていてすごく充実した内容ですが、これから2日間持って散歩するには重すぎるのであきらめて資料館を後にしました。

が、200mほど歩いてから戻り購入しました。本との出会いは逃してはいけませんからね。

 

市役所は周囲よりも高いところにあり、城跡のようです。地図で見つけていた館林城跡土橋(どばし)門を目指すと、土塁がぐるりと残っていて散策できるようになっていました、

端の方に大きな石碑があるので近づいてみると、「城沼墾田碑」とあります。

林城跡(三の丸土橋門・城沼墾田碑)

林城は城沼を要害とした城で、沼に突き出た台地の地形を巧みに利用して造られた。

三の丸には江戸時代の土塁が残り、復元された。土橋門と一体となって城跡の面影を伝える。また、明治維新後の旧藩主による城沼開拓に関わる記念碑がある。

 

「要害」というのは、「地勢がけわしく、敵を防ぐのに適している所」(Oxford Languages)だそうで、初めて耳にする言葉でした。

 

地図を眺めてはいつか歩いてみたいと計画があった沼の多い館林周辺でしたが、わずか数行で全体像が見えてくるようなわかりやすい説明にたどりつきました。

 

 

 

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