散歩をする 377 西小倉から小倉へ

1時間ほどの散歩でしたが、久留米の歴史を感じることが出来ました。

 

4ヶ月前の散歩もいよいよ最後の記録です。

11時10分のJR鹿児島本線快速小倉行きに乗りました。残念ながらロングシートでしたが、乗客が少なかったので車窓が額縁のようになって風景が見えました。

滔々と流れる筑後川を渡りました。右岸は久留米市内とは違って水田地帯が広がっていました。

筑後川を読むと、この鉄橋から下流へ2.5kmぐらいのところにある筑後大堰が筑後川中流下流の境界のようです。

昨年筑後川下流のデ・レイケ導流堤の見える場所を歩きましたが、この両岸のクリークももっと歩きたいし上流・中流も訪ねてみたいですね。

 

博多の市街地を抜けずっと住宅街の風景になり、眠くなりました。周囲のみなさんも眠そうです。

東郷駅の手前から宗像市にかけて水田地帯が増えて、赤間駅のあたりでは早稲でしょうか、稲穂が出ている風景に目が覚めました。山あいのような場所に忽然と棚田があります。

このあたりから寝過ごさないようにと思っていたのは、遠賀(おんが)川の下流を通過するからでした。昨年はこの数キロ上流を新幹線で通過し、遠賀川周辺の美しい水田地帯に惹きつけられたのでした。「水巻」という地名にも惹かれて散歩の計画も作ったのですが、今回は車窓の散歩です。

 

切り通しを通過し、折尾駅ではたくさん乗車してきました。運河のような洞海湾に沿って工業地帯になり、それまでの水田地帯とは全く違う風景です。この洞海湾も歩いてみたいものです。

黒崎駅のあたりでは湾の対岸の小高い場所まで住宅が建っているのが見えました。

しだいに工業地帯の小倉に近づいてきた雰囲気をそこかしこに感じます。

 

今回は、西小倉駅で下車しました。

 

西小倉駅から小倉城へ*

 

4月下旬に山口の開作を訪ねたあと小倉に立ち寄り紫川と神獄(かんたけ)川の合流部をみて満足したのですが、そこに建つ小倉城の美しさとその堀の水はどこからくるのだろうとまたいつか歩いてみたいと思っていました。

 

現在残っている堀を訪ねるのであれば、西小倉駅の方が近そうです。案外と早く、この夢が実現したのでした。

 

西小倉駅から南西へ150mほど歩くと堀がありました。

小倉城大門跡」の説明板があり、幕末期の「小倉藩士屋敷絵図」に私が知りたかったことが描かれていました。

その地図によると現在の堀の外側にもう一つ東西に堀があり、現在の地図と合わせると国道199号線と重なるようです。

神獄川との合流部は堀や水路が流れ込んでいて、紫川の河口は今よりも広く複雑な形をしています。

1年前には海城という言葉を知らなかったのですが、今回の散歩では大分の府内城、熊本の八代城そして小倉城と、期せずして3つの海城を訪ねました。

 

美しい小倉城の石垣と堀を眺め、紫川と神獄川の合流するあたりのゆったりした水辺を歩き、今回もまた水の歴史を知る充実した旅であったことの感謝をこめ、そして旦過市場の復興も祈るために瑜伽神社を訪ねました。

 

懐かしい小倉駅に到着した時には夏の快晴の空になり、線状降水帯とともに移動した4日間の散歩が終わりました。

いえいえ、また帰りの新幹線の車窓の風景に集中する4時間23分が残っています。日が落ちても夜景を眺め続けますからね。

 

その3週間ほど後に、旦過市場の二度目の火災のニュースが伝えられたのでした。

 

 

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