行間を読む 188 JR城端線

地図で見るとJR氷見線城端線は一本の路線のように見えるのですが、実際には高岡駅でそれぞれが別の路線とホームでした。

 

北陸新幹線で新高岡駅に到着し、氷見線に乗り換えるために城端線に乗った時にはICカードで乗り、一旦高岡駅で改札を出てから氷見線の乗車券を購入しました。

ICカードでそのまま氷見線も乗れたらいいのにと思いましたが、それぞれの地域の事情がありますからね。

 

城端線ICカードが使えるのかと思っていましたが、午後に新高岡駅から城端駅まで乗った時に乗車券を購入する必要があることに気づきました。

ICカードが使えるのは新高岡・高岡駅間のみで、おそらく新幹線からの乗り換えのためのようです。

 

 

氷見線との直通化

 

ICカードはともかく、城端線氷見線が一本でつながっていたら地元の方も観光客も便利そうだと思いましたが、城端線の歴史を読むとそういう動きはあったようです。

高岡市では各種団体等からの提案を受けて。城端線氷見線の直通化万葉線高岡軌道線からの乗り入れ、城端線の一部電化を検証したことがある。この城端線氷見線通化は、臨時列車のみながら、2015年10月10日から運転を開始した後述の観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール」(愛称:べるもんた)で実現している。

 

観光列車は確かにあの散居村から氷見の海岸まで、本当に息を呑むような美しい車窓の風景をずっとみ続けられるのですから嬉しいですね。

 

ただ、城端線もそうでしたが各地の路線に乗ると日中は大半が地元の女性しかも年齢の高い層で、自動車を持たないとか運転できない人たちの利用が多い印象です。

エスカレーターもない階段を上り下りして他のホームで乗り換えることがなければ、だいぶ助かることでしょう。

 

ここ30年ほどは公共交通機関のコストと生き残りばかりが問われる時代でしたが、もう少し公共交通機関が網羅されて人の足となっていたら、大勢の人を呼び込まなければ成り立たない観光に頼るのではなく、その地域の生活を大事にする方向へと変化していたのではないか、「車がなければ生きられない」とは違う方向の社会も可能だったのではないかと思うことが増えました。

これも時代の葛藤なので、正解はないのでしょうが。

 

JR城端線も、なんとか生き残った路線のようでした。

2015年3月14日の北陸新幹線開業を控えて、2010年にJR西日本佐々木隆之社長(当時)は、赤字対策として城端線を廃止してバス転換を行うか、本数削減などを含めて地元自治体と協議したいとしていたが、2012年1月28日に北陸新幹線金沢開業後も引き続きJR西日本が運営するとともに、運転本数についても大幅な変更はないと発表した。このため、本路線は、氷見線のほかにはJRの在来線と接続しない路線となっている。

 

 

私が高校生まで過ごした地域の路線も廃線かと思われていたのに、最近では本数が増え沿線の人口も増えました

車でその地域を移動していた時には気づかなかったのですが、列車の車窓から見るとダイナミックで本当に美しいものです。

 

列車の車窓の風景を見ることができる。

これはとても大きな遺産だと思えるこの頃です。

 

 

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