散歩をする 445 JR城端線を一往復

新高岡駅にある用水路の公園を見た後は、14時34分発の城端線に乗り終点の城端駅まで行ってまた戻ってくるという計画です。

 

2019年に石川県の河北潟を回った時に、この路線を地図の中で見つけました。

それまでは「富山平野」が富山県の真ん中あたりに広がっているぐらいのイメージでしたが、高岡から南の山の方へももっと広い平野が広がり、その真ん中を鉄道が通っていることに目がいきました。終点まで乗ってみたいと「いつか」の計画としてノートに書かれました。

この頃はまだ散居村を知らず、またここが庄川と小矢部川が流れる砺波平野ということもつながっていませんでした。

 

そして「しろはた」線と読むのだと思い込んだままで、今回初めて「じょうはな」線だと知りました。

 

 

城端線の車窓の風景*

 

新高岡駅で終点までの590円の切符を購入しました。南の方に雪が残る山が見えているのを眺めて列車を待ちました。

岡山駅でよく見かけるがっちりしたローズ色の列車に乗り込みました。行きは左側の車窓に集中です。

 

駅を出るとすぐに田植えが終わったばかりの水田地帯とところどころ麦秋の畑が見え、その水田を潤す用水路があちこちに見えます。

 

林駅の先に地図では大きな工場か何かの敷地が描かれているのですが、製薬会社の工場でした。

仕事では新型コロナ拡大以前からの医薬品の欠品に汲々としている日々が続いているのですが、医療の安定には欠かせない産業だと思いながら通り過ぎると、二列の幹線水路が見えました。

 

その工場が終わるあたりから見える白い柵に囲まれた水路が地図で見つけた舟戸口用水で、しばらくその水路を眺めて走りました。

このあたりがすでに散居村の地域に入るのでしょうか。上から見た航空写真とはまた違うのですが、水田の中にぽつりぽつりと家がある風景です。どこまでもどこまでも水田と水路、そして家々を囲む大きな木々の風景は息を呑む美しさでした。

 

砺波駅の手前にも大きな水路があり、オレンジ色の球体が水路内に設置されているので相当の水量と速さのようです。

こうした幹線水路から分かれた水が家の周りに水路をつくって流れているのが見えました。

 

地図では福野駅のあたりが庄川小矢部川分水嶺に見えるのですが案外と平坦で、しだいに緩やかに段々の水田が広がっていました。

遠くに見えていた残雪の残る山が近づいて、終点の城端駅に到着しました。

ホームから線路を越えて改札口へ向かう途中、水の流れる音が聞こえてきました。

構内を横切って線路の下に用水路が流れているとは、なんと水が豊かな地域なのでしょう。

この線路の下の水路を見ることができただけでも、来たかいがありました。

 

地図では城端駅の東150mほどのところに山田川と池川の川合があるようで、そこをみてみたいと思いました。

城端線の車窓では緩やかな上りだったのですが、駅周辺は高低差がかなりある場所に街が広がっていました。川の周りを少し歩くだけで上ったり下りたりですが、そんな場所にも水路が張り巡らされ、小さな水田や畑がある美しい街でした。山田川には木の柵がある遊歩道もありました。

 

想像以上に水の豊かな城端線沿線の風景です。

帰りは反対側の車窓の風景を見るために、西陽に負けずに座りました。

 

車内に、立山連峰と山の名前が書かれた写真が掲示されていました。

こういう山の名前がわかるパノラマ写真はありがたいですね。これも地図のひとつと言えるかもしれません。

城端線の南に見える残雪の山は載っていなかったのですが、地図で見ると高清水山でしょうか。

 

15時56分に城端駅を出る時には女性だけ数人の乗客でしたが、福野駅あたりから下校の高校生が乗り始め、いつの間にが立錐の余地なしの状況になりました。

西陽のまぶしさにも負けずに眺めていた車窓にブラインドが下ろされ、喧騒の中、先ほどまでの水の音だけの静寂な世界を思い出して瞑想の境地に至って、終点高岡駅に到着しました。

 

両方の車窓の風景を記憶したいという貪欲な計画のためには混雑する時間でない方が良いのですが、各地の通勤通学時間帯の様子を知るのも散歩の醍醐味ですからね。

 

 

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