記録のあれこれ 152 「岡山の河川拓本散策」

無事に岡山駅に戻ってきました。1月に岡山駅で、四国方面へ行く特急や快速の本数が多いことから思い立った散歩でしたが、充実した時間でした。

これは私の散歩を計画する能力ではなく、津々浦々、どこでも訪ねたところには尽きない歴史があるからだと思うようになりました。

 

新幹線の発車までまだ時間があります。いつものように本屋さんへ向かいました。岡山についての本が集められた一列ほどの本棚で、1月にも眺めたばかりなので目新しいものはないだろうと思っていたところ、ありました。

 

「岡山の河川拓本散策」(坂本亜紀児氏編著、岡山文庫、平成12年7月)です。

 

あちこちを散歩するようになって、石碑や神社の御由緒などに目がいくようになりました。

今回の阿波から讃岐でも数々の石碑を写真に撮り、その内容をブログに書き残しました。

これを「拓本」というのかとおもったら、筆者は本当に石碑の凹凸を紙に写しとる作業をして、岡山県内の河川に関する石碑や橋の記録を残されていたようです。

 

まえがき

 

 私が拓本を始めたのは、今から八年前の平成四年の春でした。最初は文学碑が中心でしたが、見たものはなんでも採拓して帰っていました。その中に『橋』に関係のものがありました。

 今回、『拓本散策』として岡山県の三大河川の『橋』や『川』を見てきましたが、歴史的な記念碑を採択して帰ると、それらが私の歴史の勉強の始まりでした。

 私達人間は、川に橋を架け、ダムを造ってきました。またこれからも架けつづけ、造りつづけることでしょう。そして、自然を征服したと錯覚しています。拓本を一つ採るごとに川や自然に教えられてきました。川に水がない。数年前の水飢饉は未だ記憶にあります。私達人間は、川や自然と共存して生きるしかないのです。

 この小冊子が皆さんの目にふれ、川や自然を、もう一度考えていただければ、幸せです。

 

平成十一年十二月              坂本亜紀児

 

 

ああ、なんだかすごい先人の記録にまた出会ってしまいました。

 

吉備の穴海の時代から干拓によって現代の岡山平野になるまでに重要な吉井川、旭川そして高梁川ですが、それぞれの流域でとった90箇所近い拓本が掲載されていました。

 

災害の記録であったり、橋が架けられた経緯であったり、そして文字だけでなく当時の様子が彫られた絵も拓本して残されています。

 

頑丈な石碑でも雨風にさらされて文字が読めなくなったり、時代によって漢字や言葉も生活も異なるので意味がわからないことも増えてくることでしょう。

その地域の生活の場の記録、その時代の葛藤の記録として、碑文の記録を残して来られた方々がいらっしゃったのでした。

 

 

*「川に水がない。数年前の水飢饉」*

 

まえがきのなかに「水飢饉」と書かれていました。

1994年(平成6年)の渇水のようです。

そういえば1990年代に水不足の年があったぐらいに記憶があやふやになっています。喉元過ぎれば…ですね。

Wikipediaを読むと夏場だけでなく、姫路では11月ごろまで夜間断水が続いたようです。

 

 

 

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