こんな地図があるといいな 11 「地図は公共財」という共通認識

私の散歩は地図を眺めて見つけた場所への関心から計画ができていきます。

川や溜池や用水路あるいは分水路や放水路らしき場所など、水色に描かれている場所などを通勤列車の中とかで見つけて行ってみようという場所がつぎつぎと広がります。

 

これもまた30年ほど日常生活に広がったインターネットのおかげですし、とりわけ12年ほど使っているiPhoneやMacの地図はインターネット上の地図がさらに使いやすくなりました。

 

時々忽然と地図から河川の名前が消えたりしますがどうやら何かの編集作業だったようで、「こんな地図があるといいな」と妄想していたことが次々と実現して詳細で重層的な地図に進化してきました。

数年ぐらい前に各地域ごとの温度を知りたいなと思っていたのが、地図の片隅にその地域の温度や天候が表示されるようになりました。

 

私の日々の記録や散歩の記録にも、その時のその場所の気温を記録しやすくなりました。

 

わずか10年ほどでもインターネット上の地図のすごい変化を感じます。

まあ、散歩のために歩道がない道がわかればとか願望はキリがないのですけれど。

 

 

*地域差がまだありすぎるかも*

 

さて、今回の最上川と赤川の水路を訪ねた散歩ですが、Apple社のその正確で詳細な地図があまりにも大雑把だと痛感しました。

 

道路や線路はおおむね正確に描かれていますが、北楯大堰赤川からの青龍寺川も途中、忽然と消えています。

 

地図では赤川頭首工からの分水路が熊出地区では描かれていなくて、下流青龍寺川と新内川が分岐するところから市内へとまた水色の線が描かれています。

てっきり暗渠か、それともよほど小さい水路なのかと思いましたが、実際に車窓から見えた幹線水路は白い柵が続く開渠で、水量も多い流れです。

 

Apple社のマップでは、これまでもしばしば日本の地方へ行けば行くほど描かれているものがはしょられていることを痛感しましたが、地図はどういう仕組みで作られるのでしょうか。

人口密度に連動しているとか電波が届きにくい場所は割愛というシステムだろうか、それとも正確な地図はあるところにはあるという陰謀論的な妄想をしていますが、事実は如何に。

まあ、日本の場合には国土地理院の正確な地図をネットで見ることができますけれど。

 

国土地理院Googleマップは気軽に眺めるには操作が面倒なのと、画面を眺めていると私は車酔いのようになるので、ついついどこまでも行きたいところにひとっ飛びでき、指でびよ〜んと拡大できるApple社のマップを日常的に利用しています。

 

 

インターネットの世界をよくわからないまま使っていますが、あちこちを散歩していると各地の正確で詳細な地図をその地域の人でさえ見ることに不自由さがあることを感じています。

持つ人によって持たざる人が制限されているというか、むしろ地図に関してはその差が広がっているので、インターネット上では地図は公共財ではないのだなと。

 

ですから不完全なインターネットの地図を見るたびに、あまり「デジタル化に遅れるな」という風潮に乗りすぎないほうがよいのではないかと警戒心が出るのです。

 

 

 

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