観察する 77 社叢

香川用水記念公園への最寄りのバス停の前にあった雨宮神社の説明の中で「社叢」という言葉がありました。

 

今までどこかで目にしていたのかもしれませんが、意識するのは初めての言葉です。

でもすぐに「しゃそう」と読み、鎮守の森のことだとわかりました。

 

散歩をするようになって数々の神社の「御由緒」などを読むようになりましたが、境内の植物について書かれているものを目にすることがけっこうあります。

それを社叢というのですね。

 

「社叢」で検索すると、「神社の森」「神社に茂っている木々」ぐらいの簡単な説明があるくらいですが、全国の神社の社叢の説明も読むことができます。

 

たとえば佐渡の「熊野神社社叢」(佐渡市公式ホームページ)ではこんな説明がありました。

両津地区北浦の熊野神社周辺に分布している。社叢はタブノキを主体とし、その樹冠の黒々とした森が磯山を覆う様子から、地元では「小浦の黒森」とも呼ばれており、古くから航海の目標として重宝されていた。

佐渡では暖帯林の主要樹であるタブが海岸地域の各所に点在し、磯山を形成している。中でもこの社叢はタブの極相林として特に規模が大きいとされるもので、林内には樹高15メートル、胸高直径2メートル近いタブの巨木が多数見られる。また、林床にはツバキ・ヤツデ・キズタ・ヤブコウジ・カラタチバナ・ムベなどの暖地系植物も多数生育しており、学術上貴重な森となっている。

この森を社叢とする熊野神社は北小浦集落の氏神であり、『佐渡神社誌』によると、創建年代は不明、かつては十二権現と称したが、明治6年(1873)に現在の社号に改めたとある。当初の社殿は社叢の下部、現在の道路の海側にあったが、昭和の県道改良工事の際に社叢の一部が切り開かれて道路が開通し、社殿も現在地に移転・再建された。

なんと「熊野神社社叢」そのものが新潟県指定記念物になっているようです。

 

 

 

*鎮守の森から社叢へ*

 

 

20代以降しばらくは父やその時代の思想と距離を置くために、鎮守の森とは疎遠になっていました。

 

都内をあちこち歩くようになった2016年ごろから水の神様をはじめとした鎮守の森が再び気になるようになったのですが、明治神宮の森が一世紀前に造られたことを知りました。

明治神宮の森は全国各地の樹木を集めたものですからよく整備された人工的な森のイメージでしたが、むしろ手をくわえず、ヒトの寿命を超えた長い期間をかけてその森の変化が観察され続ける手法もあることを知りました。

 

「社叢」という言葉があるから、御由緒のそばに木々や昆虫などの名前が書き連ねられている神社があったのですね。

 

そして「社叢」で検索すると「NPO法人社叢学会」の「趣意書」にこんなことが書かれていました。

(前略)

 そのありようは、今日の社叢についてもいえる。そこには、昔の植生、地域の動物、乱されない土壌を始め、神々の霊跡、遺跡、遺物、古建築、古植栽、古美術、古文書、史跡、名勝、天然記念物、さらにすぐれた景観、芸能、民族行事、共同体組織、水利構造から村落配置、住民の生業や環境、文化の生成にいたるまで、有形、無形の多くの文化財が残されている。

 そこで、この社叢を対象に、植物学、動物学、生態学、考古学、建築学、造園学、美学・美術史学、歴史学民俗学、宗教学、農学、林学、水産学、法学、社会学、地理学、都市・国土計画学、土木工学、環境学文化人類学等の諸学を結集してその解明を進めるならば、何百年、何千年にわたる日本人の変わらぬ思想や生活、環境、文化などを明らかにしうるとともに、今日、自らのアイデンティティを喪失しつつある多くの日本人に、自然を基軸とする日本文化に対する深い自覚を促し、大きな自信を与えることができる。

 

「自覚」とか「自信」といった気持ちの問題はさておいて、対象の特性を変えずに正確に観察して、理論化を急がずにもう一度細かな事実をきちんと出し、感情移入という自分中心主義に陥らないようにさまざまな視点から対象をとらえる。

 

今までは信仰という視点から見ていた鎮守の森ですが、「社叢」と言い換えるだけでありとあらゆる現象が保存されて科学的な思考が試される博物館のような場所になりそうです。

 

それにしても、「アラカシ、タブノキクスノキ、カゴノキ、ムクノキ、センダン・・・」どれひとつ私はその生活史を知らないままでした。

 

 

 

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