つじつまのあれこれ 44 「閥」と政策は相容れないもの

昨年末からの裏金の問題で、途中から「派閥も悪いわけではなく、政策集団として‥‥」というようなことが滑っと聞かれるようになりました。

その時に辞書を引けばよかったのですが、「そうか、心を入れ替えれば政策集団になるのか」と聞き流していました。

 

 

*「閥」とはどんな意味があるのか*

 

「閥」という漢字から閨閥を思い出して、同じ字が使われていることに遅まきながら気づきました。

ばつ【閥】

①功績。手柄。いさお。

②家柄。家格。門地。

③出身や利害関係を同じくする者で結成する排他的な集まり。財閥・学閥・軍閥藩閥など。

(「精選版 日本語大辞典」、コトバンク

 

自由民主」からは程遠い意味だし、日本の政治や社会というのはこういう言葉をずっと使い続けることを許してきたのかと改めて呆れました。それに気づかなかった自分自身にも。

これはよほどイデオロギーから解放されて生活の声に耳を傾ける自民党だけでなく政治家のみなさんすべての革命的とも言える変化がなければ「政策集団」になんてなりそうにないですね。

 

もう少しコトバンクの「閥」を読んでみました。

 

閥の性格

社会集団としてみた閥の性格は、全体社会の中の単なる下位集団subgroupとしてのクリークcliqueでもなく、職場のセクショナリズムのようなものとも異なっている。閥の集団的な特徴は、開かれた、あるいは公的な社会的場において、私的な閉じられた集団性をもって行動するところにある。すなわち、それは本来、血縁、地縁、出身などを同じくする者の非合理的、情緒的なつながりであり、公的な世界においては一個の集団としての組織や統一を認められているものではない。それでいてその存在がやかましく取りざたされるのは、密かに同類相結び、衆を頼んで公的な世界、すなわち政界、実業界、官界、学界などにおいて、他を排して仲間相互の利を図ろうとするからである。閥の成員であれば、その閥に属するだけで集団的な後援を得、外部の他の人々と対抗し、それらの人々よりもいっそう有利に自己の地位と立場を獲得、防御できる

 

ああなんとスッキリと事実がまとめられた文章でしょうか。

 

もう少し引用しておきます。

その集団の内部は、ある意味での強固な結合を持っている。すなわち、社会学でいう第一次的な社会的情緒を持って、その中の特定の有力人物あるいは有力人物群を中心に求心的に結びつき、一体的な対外行動を起こす。多くの場合、その結びつきは親分・子分的であり、支配と人物的隷属、庇護(ひご)と依存、先輩・後輩の秩序や身分制の原理によって固められる。そうした集団行動の目的は、「私の一字に帰す」といわれるように、その集団成員たる少数者の利益を獲得することにある。たとえば、一つの学校の出身者が単に先輩・後輩として親睦(しんぼく)することは、なんらとがめられるべきことではない。むしろ、望ましいことであろう。しかし、その私的なつながりを利用して、公的な世界を牛耳(ぎゅうじ)ろうとすることが問題である。それが、広く開かれた社会活動の効果的な遂行を阻害するところに、大きな問題性があるとされるのである。

コトバンクより、岩井弘融)(強調は引用者による)

 

「閥」につながり続けたいのは、おそらくその地位や権力を子々孫々まで確保したいという自分の利益でしょうし、だから世襲制を手離さない。

そして派閥を政策集団と言い換えたらことがすむと思っている浅はかさ。

世の中はすでにこうした集団に対して嫌悪感と侮蔑を持って変化していることさえ気づかない。

 

 

さらっと政治に参加して、さらっといち住民に戻る。イデオロギーを必要以上に持ち込まず、住民の利益の最大化を図る、そんな政策中心・住民主体の人たちがすでに生まれていることにも気づかないのでしょうね。

 

無派閥といいながら、いつまでも政治の世界に強権的に関わる人も同じあなのむじなですね。

マイナンバーとマイナンバーカードがどんどんと国民のための政策から離れていくのも、「閥」でつじつまがあってきました。

 

 

 

*おまけ*

 

現職の外務大臣に対して「おばさん」「そんなに美しいとは言わん方」と言い放った件の記事のコメントに、「有名な話だけど、野中広務への侮辱発言とか、この人の根本的な差別意識って、たぶんこんな可愛いレベルの話じゃないと思う」とありました。

この国の政治の歴史をよく知らないままだった私には記憶になかったので、さっそくWikipediaを読んで驚きました。

 

結局「言った、言わない」でうやむやにされた印象ですが、上記コトバンクの「閥」の続きにつながりました。

それは、一般に公衆の前を糊塗し、社会の背後において策動する陰険さをもっている。その私的な結合は、内部の結束、統一を固めるとともに、他に対してはこれを一歩も門内に入れぬ封鎖性を特徴とする。独占的な権力集団として排他性が強く、他に対し闘争的である。すなわち、その集団利己主義の結果として、他の同質的な集団に対して激しく対立・抗争し、執拗(しつよう)な派閥争いを生じがちである。このように、私的結合の力で狭隘(きょうあい)な範域を守ろうとすることは、実力競争を遮り、人物の新陳代謝を妨げる。閥の存在は、近代的な公的生活を撹乱(かくらん)し、組織能率を阻害し、採用、選抜、昇進などの諸過程における自由な社会的移動を阻むのである。

 

まさに派閥を守り抜こうとしている人そのものですね。

 

 

閥の存在は「近代的な公的生活を撹乱」「自由な社会的移動を阻む」。

その再発防止は、やはり多選と世襲制を制限することでしょうか。

 

 

 

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