記録のあれこれ 167 イデオロギーではなく生活の記録を保存し続ける

バスの車窓から懐かしい福田歴史民族資料館が見えました。2~3ヶ月前の入館記録と「毎日ホコリが積もらないようにお掃除したり、それだけですけれど」という言葉を聞いた時には切なさだけを感じたのですが、あれから数年、各地の小さな資料館を訪ねるうちにそこにしかない記録が目に入るようになったり、全国似たような展示のようでもそれぞれの地域の歴史の違いが面白いと思えるようになりました。

私がその違いを知らなかっただけでした。

 

今なら自信を持って言えます。

たとえ来館者が途絶えることがあっても生活の記録が積み重なっているので、こうした資料館の存在こそ意味があると。後世に正確な記録を残し続けるという使命がありますからね。

 

全国の資料館については成人してからもほとんど記憶にもなかったので、いつのまにこんなに増えたのだろうと浦島太郎の気分になります。

 

文化庁の「博物館総合サイト」によると、「昭和26(1951)年 博物館法制定(博物館数国立33、公立71、私立97」から「昭和40(1965)年〜公立博物館の急増:明治百年、市町村制百年の記念事業 各地に博物館が作られる 多彩な私立・企業博物館も誕生」というきっかけがあったようです。

「平成27(2015)年約5700館」とのことですから、これもまた経済的なゆとりが後押ししたのかもしれませんね。

 

こうした資料館を訪ねるたびに、「もう一度細かな事実を出していく」と各地を歩いていらっしゃった村井吉敬さんや鶴見良行さんのことを思い出しています。

 

 

*生活の声を「イデオロギー」と呼ぶことこそ「中央歴史主義史観」*

 

 

そんなことを考えていたら、少しショックな記事がありました。

 

 

河野太郎デジタル相は12日の記者会見で、「国民の不安を払拭する措置をとった」と強調。「イデオロギー的に反対される方は、いつまで経っても『不安だ』『不安だ』とおっしゃるでしょうから。それでは物事が進みませんので、きちんとした措置をとったということで進めます」と述べた。

 

(「「あまりにもズレている」岸田首相を連坊氏が猛批判!現行の保険証2024年秋廃止表明で「保険証より自民党廃止」の声も」、2023年12月12日、FLASH)

 

 

YAHOO !JAPANニュースのコメント欄を読んでいると、膨大なコメントにもさまざまな視点があり中には闘争的なものもありますが、つじつまのあった生活上の声もたくさんあります。

実際に自分が老いていくのに、写真付きのカードを作り直しに役所へ行くことが大変になることも現実問題ですし、介護施設にお世話になる時が来たらスタッフの皆さんも保険証の扱いが大変だろうと心配になります。

 

「マイナ保険証の利用率は10月時点で4.48%」の意味は、必要がないとかむしろ不便だという現実ではないかと思います。

 

思い返すと新型コロナが広がり初めた時期に、当時はまだ自由に閲覧できたTwitter河野防衛大臣が公開していた「国内感染者数」の重症者数と退院数から状況を判断することができた のでした。

未知の感染症なのに「正しさを求める声の嵐」の大混乱の中でも、淡々と数字を見るだけで現状の問題点と対応策の道が見えてくるものです。

 

それなのに今回はその数字を正視することなく「イデオロギー」と言ってしまった。

それだけ追い詰められているということかもしれませんし、誰しも合理性と不合理性を持ち合わせていますからね。

 

例えば災害の記録も明治以降、写真など正確で膨大な記録が増えたように「当時の生活を垣間見る」ような記録を残す手段を誰もがもてる時代ですから、今の政治の混乱をきちんと記録に留めておけば後世ではどちらがつじつまがあっていたかわかることでしょう。

 

それこそイデオロギーに中立に、こうした生活の記録を残していくのは国の責任ですね。

 

鶴見良行さんが書かれていた中央歴史主義史観への批判と重なりました。

 

 

 

*おまけ*

 

考えれば考えるほど、今回の「イデオロギー的に反対される方は・・・」という発言は国民に謝罪すべき大失言だと思うのですが、そんなこともかき消されるくらいのゴタゴタのなかで次期首相候補の一人とかもてはやされる不思議。

この何か焦りながら動いている政治の世界の背景から目を離してはいけないですし、記録は大事ですね。

 

 

 

 

 

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