仕事 とは何か 15 「職業としての政治家」

内閣改造って誰が期待しているのだろう。

大臣を変えたら何か新しい政策が可能になるとすれば、政策そのものが定まっていないか、独断的にまた何かを決められてしまうということではないだろうか。

その手法では国民の生活は良くなるはずもないのに、なぜ失敗が繰り返されるのだろう。

 

こんなに政治家への不信感と閉塞感が漂う生活なのに、国民なんてちょろいもんだと言わんばかりに次々と打ち上げ花火のように「新たな政策」が突然聞こえてきて、それに従事してきた人たちを右往左往させる。

問題の根本は何か落ち着いて考えるまもなく、一度、権力を得た人の思いつきや力で物事が動くのはなぜだろう。

 

「政治家」とはどのような仕事で、どのような素質が求められるのだろう。

なぜずっと政治家でいる人が出現し続けるのだろう。

 

 

*「職業としての政治家」*

 

答えはないだろうなと思いつつWikipediaの「政治家」を読んでみたら、なんだか頭の中のもやもやが少し晴れました。

 

マックス・ヴェーバーは、自身の講演『職業としての政治』の中で「政治家の本領は『党派性』と『闘争』である」と指摘している。

ああ、まさに当選するためには住民不在の内容でも平気な選挙公報にも表れていますね。

 

政治家は国家によって認定された資格に基づく職業ではない。選挙結果によっては職を追われるため、不安定な職業である。政治家は有権者の利益や意向を議会に反映させるが、その方法は有権者の具体的な要望を忠実に実現する方法と、自らが信じる方法で有権者に有益な結果をもたらす方法の2つがある。

(強調は引用者による)

 

自らが「社会の構造には膨大な知識や経験あるいは歴史の集積がある」ことを日々の仕事の中でつちかってきた人であれば、「有権者の利益や意向を議会に反映」させることもできるかもしれません。

 

ところがイメージやパフォーマンスで有名になることが政治家への近道かのような現在の選挙では、社会のさまざまな専門性への敬意もなく自分の信念だけで押し通そうとする裸の王様になるし、周囲もまた裸の王様の予備軍のような人たちだから裸の王様に服を着せることもできないのでしょう。

 

ここ数十年で社会の中では仕事の専門性とその責任が明文化されてきたというのに、政治家については未だその専門性さえ明らかになっていない。

だから何かがあれば目が泳ぎ、「皆で顔を隠し、主体を消し去る、責任主体がどこにもない」ことが当たり間なのでしょう。

 

何か批判されるとしばらく姿を消して、禊がすんだとまた国民の前に現れる。

そして一度得た権力を手放したくない。

 

 

内閣改造」を話題にしたい人もまた同じあなのむじなという感じかもしれませんね。

 

 

 

*次の選挙では*

 

もう日本の政治はずっとこれを繰り返すのかと絶望的でしたが、先の地方選挙で希望の光を感じました。

「拡声器や選挙カーを使わない」

「給与所得者が政治に参加するハードルを下げ、仕事と区議会活動を両立」

「国政上の論点やイデオロギーを必要以上に区政に持ち込まず、区民皆さんの利益の最大化を図る」

「議案の賛否とその理由をホームページであらかじめ表明し、それに対して区民の皆さんのご意見を拝聴します」

「政務活動費の明細・領収書をHPで自主的に開示します」

そして誰々の推薦というのもありませんでした。

 

さらっと政治に参加して、さらっといち住民に戻る。政治家を本職や家業にしない。

それは政策中心であり、住民主体だからこその政治ですね。

 

それだけでもここ半世紀ほどの社会の葛藤の中で芽生えた希望の光だと思います。

内閣改造」なんて言っている人は、社会のこうした静かなうねりに気づかない人なのかもしれません。

 

 

 

 

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