仕事とは何か 18 虚業と実業

ブログを書き始めてから、いつか頭の中を整理して書いてみたいと思っていたのが今日のタイトルです。

 

渋沢栄一氏の「我が人生は実業にあり」の「実業」はどんなイメージだったのだろうと想像しているうちに、少し雲が晴れてきました。

 

 

コトバンクの「精選版日本国語大辞典」の②の説明が、私の「実業」のイメージに近いものだったかもしれません。

①⇒じつごう(実業)

②農業、工業、商業、水産などのような生産、製作、販売などをする事業

 

「じつごう」と読んで「(仏語)。身・口・意で善意などの行為をすること」という意味や、「まめわざ」と読んで「実務的、実用的な仕事。裁縫など、生活次元の仕事」という使い方もあることを初めて知りました。

 

1960年代初頭生まれの私にとっては、「実業高校」「進学校」あたりで漠然と線引きがあるぐらいの言葉でしたが、「生活上で必要な『地に足ついた仕事』」という感じでしょうか。

医療や福祉も「実業」かと思っていましたが、よくよく考えれば明治以降の新種の「実業」ですね。

 

「世界大百科事典」の「実業学校」の説明に、「明治初年以来、鉱工業、農業、商業などの産業を実業と総称する習慣が生まれ」とあるので、渋沢栄一氏の「実業」はこの時代の雰囲気から来ていて、私の「実業」はそこから生まれたさまざまな仕事も含まれるようになった時代の影響でしょうか。

 

いずれにしても「生活上必要で『地に足ついた仕事』」とそれ以外の仕事があるという漠然としたものでした。

あの頃、もっとしっかりと考えておくべき言葉でした。

 

 

1970年代ごろになると経済的余裕から、芸能・娯楽や観光あるいは飲食業など「生活上に必要な仕事」の意味も広がったのかもしれません。

そしていつの間にか縁の下の力持ち的な仕事も格段に増え、してみたい事を仕事にして地に足ついた生活をすることも可能になってきました。

ただ、まだ私にとってはさすがにユーチューバーとか活動家を実業に含めることはできないのですが。

 

 

虚業とは何か*

 

職業に貴賎はないとはいえ、「虚業」としていろいろと思いつくものはあります。

「性的な労働」あたりはまだまだ気持ちの問題を整理している段階です。

 

「精選版日本国語大辞典」の「虚業」によれば、「実業に対して、堅実でない事業をいう語」とあり、何をもって「堅実」とするか時代によっても変化するので禅問答のようですね。

それに対して「デジタル大辞泉」ではもう少し踏み込んで、「投機相場などのように、堅実でない事業」とあり、ああやはりと思いました。

 

そんな私が投資と「投機」の違いを少し理解できたのは、「国債は堅実そうで素人でも何とかできそう」というあたりからでした。

 

 

*「堅実ではない仕事」とは*

 

経済にうとい私ですがまるで占いか何かのように感じるのは、経済学というのは仮説をそのまま社会に実験していくかのようで、さらに失敗が社会に対して与えた影響に責任をとる仕組みがないと感じることが増えたからでした。

 

おそらくさまざまな分野にリスクマネージメントが浸透し始めて、信念やイデオロギーを超えた問題解決方法を模索する社会になったからかもしれません。

リスクマネージメントとはシステムで事故を防止することや、失敗から再発防止の教訓を得ることが基本ですから、占いのような投機を基本とした経済界とは相性が悪そうですね。

 

最近では「政治家」も虚業だと思うようになりました。

失敗を認めてより良いものにしていくとリスクマネージメントが浸透しにくそうなのも、派閥を政策集団と言い換えるのも、誰かの思いつきの一言が政策になって国会を通さずに閣議決定してしまうのも、堅実な仕事ぶりとは全くいえないですからね。

 

政治活動に使っているとか「引き出しに保管していた」というお金、もしかして投機へ使ったのではないかと疑いたくなることが今までもありましたからね。

ああ、だから「政治活動資金」には領収書も不要でしかも非課税になっているのでしょうか。

そして国民にまでもっと貯蓄がないと老後は生きていけないから自分で投資して稼げと政府に言われるようになりました。

いやはや。

 

 

「骨太の方針」とか「背骨」とかなにかと最近かっこ付きの「文学的表現」の政策が多いのも、のらりくらりと言い抜けする滑っとした態度も、政治家が投機を中心にした虚業になってきたからかもしれないと思えてきました。

 

 

明治時代の先覚者たちの生きた時代の「実業」とは何をさしていたのでしょう。

 

 

 

 

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