10年ひとむかし 93 武蔵小杉のS字カーブのあたりの変遷

地図で線路を眺めていると、新幹線は気持ちが良いくらいにまっすぐですね。

 

このまっすぐにするためには、江戸時代なら雨が降れば数日ぐらいは渡ることができなかった大井川などをものともせず渡る橋や高架橋の技術や、安全にトンネルを造る技術で山をあっという間に越えることができたのだと、乗るたびに圧倒されます。もちろん在来線も同じような場所を超えていくのですが、新幹線の場合は最短距離を高速で走るのですからできるだけまっすぐにと設計されているのでしょうか。

 

そうなると武蔵小杉のS字カーブとか大崎のあたりのS字カーブのように、まっすぐでない場所がかえって気になってしまいます。

 

多摩川の堤防のあたりから武蔵小杉駅の近くまで歩いた時には、その理由が地形なのかなんなのか結局よくわかりませんでしたが、このあたりの風景の記憶をたどっていたら年表にヒントがあるような気がしてきました。

 

 

*まだ武蔵小杉駅がひとつだった頃*

 

いつの間にか、地図の中では「武蔵小杉駅」が2つになっています。その南よりの駅に並走して東海道新幹線が通っています。

 

私にとって「武蔵小杉駅」というのは、東急東横線南武線が交差したところにある武蔵小杉駅しかなくて、いつだったか「離れているのにこちらも武蔵小杉駅なのか」と混乱しながら驚いたのですが、それがいつ頃の記憶だったのかも定かではありません。

 

現在は高層マンションが立ち並ぶ中にある南側の武蔵小杉駅には横須賀線湘南新宿ラインが走っているのですが、その湘南新宿ラインそのものに気づいたのが2000年代に入ってからで、そこは貨物が通っていた線路ではないかと浦島太郎の気分になったのですが、武蔵小杉のあたりとはまだ頭の中でつながっていませんでした。

 

2000年代に入るころは東横線をよく利用していて、まだだだっ広い空き地にポツンと高層マンションができた頃で工場の跡地がこれからどんな場所になるのだろうと思った記憶があります。それからほどなくして、まさに「雨後の筍」のように街が出来上がりました。

 

Wikipediaの「武蔵小杉駅」の年表を読むと、この記憶もそれほどずれてはいなさそうです。

 

1945年(昭和20年)6月16日:南武線との交点に東急の武蔵小杉駅が開業。

1953年(昭和28年)3月31日:東急の武蔵小杉駅工業都市駅との中間地点に移転し、工業都市駅を廃止する。

1964年(昭和39年)10月1日:国鉄東海道新幹線開業。本駅付近では品鶴線の西側、同線に並行して建設。駅は設置されず。

1980年(昭和55年)10月1日:東京駅ー大船駅間で東海道本線横須賀線の運転が分離され(SM分離)、品鶴線が旅客化されて横須賀線電車が運転開始。川崎市内では新川崎駅が設置。ただしこの時点では横須賀線武蔵小杉駅は設けられず。

 

工業都市駅」「品鶴線」なんてあったのですね。

1980年代から2000年代によく利用した東急東横線のこの辺りは、たしかにその雰囲気がまだまだありました。

 

新川崎駅」という名前も浦島太郎の気分になる駅名ですが、1980年代後半の東海道本線の川崎駅前も人里離れたような工場の跡地しかなかった記憶です。

 

それなのに、いつのまにあの高層マンション群の間のS字カーブを新幹線が通過し、その風景を横須賀線湘南新宿ラインの駅から眺めるようになったのでしょう。

 

年表を追って驚きました。つい最近ですね。

2010年(平成22年)3月13日:横須賀線の駅が開業し、同線と新宿湘南ライン・特急「成田エクスプレス」、特急「スーパービュー踊り子」の停車駅となる。

 

この風景になるまでにまず東急東横線複々線化、そして高架橋化していった90年代から2000年代の変化の記憶があります。

東急東横線武蔵小杉駅のあたりは、線路に商店街や住宅が接している風景の記憶です。

当時は今ほど鉄道の歴史に関心がなかったこともありますが、高架橋ではなかったので新幹線が近くを通過していることも見えなかったのかもしれません。

 

東海道新幹線によく乗るようになった2018年から19年頃、新横浜駅を過ぎていつの間にか増えた高層マンション群の間に入り、横須賀線湘南新宿ライン武蔵小杉駅に並ぶたくさんの乗客の列を斜めになりながら眺めて抜けると、川面に夜景が映る多摩川が見えて「無事に家に戻ってきた」気持ちになったのでした。

 

あの武蔵小杉駅のあたりの風景はできてまだわずか8年ほどだったのだと、今ようやく頭の中が整理されました。

 

 

 

「10年ひとむかし」まとめはこちら

新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録のまとめはこちら