散歩をする 494 S字カーブの先のかつての田んぼを歩く

散歩の出だしからまた歩きたい場所ができてしまったのですが、この日はJR武蔵小杉駅から東急新横浜線新綱吉駅まで歩く計画です。

県道2号線をまっすぐに歩くと4.9kmほどのようですが、東海道新幹線の東側を下末吉台地の端っこを蛇行しながら歩くので、だいぶ遠回りになりそうです。

 

多摩川の沖積低地の高架橋*

 

新幹線の車窓から見えるNECの高層ビルは、しばらく見ないうちにまた増えているような気がしました。

ここから新幹線の西側をしばらく高架橋沿いに歩きます。周囲がビルだらけなので、上を向くことが多くちょっと首が痛くなってきました。マンションの合間に時々東海道新幹線がほとんど音もなく通過していきます。一日中、新幹線を見放題なんて羨ましいですね。

中丸子まるっこ公園のあたりで、ビル群の地域から普通の住宅地へと変わりました。

 

ここから高架橋の真下に近づくと、高架橋の下が「新幹線中丸子公園」として利用されていました。

多摩川を渡って線路がS字になって一旦武蔵小杉駅のあたりで東へ曲がり、その後西側へ弯曲しながら横須賀線湘南新宿ラインと離れていくあたりです。

さらにその先には、保育園も新幹線の高架橋の下にありました。

公園や保育園の上を走っていたのですね。新幹線の高架橋の真下というのは、走行音がそれほど聞こえないものですね。子どもたちの生活を妨げることもなさそうです。

 

線路が西へ曲がるにつれて、それまでの低地から微妙に高低差のある道になりました。

昔からの住宅地が多い地域のようで、高架橋の下もコインパーキングやゴミ置き場として利用されています。屋根ギリギリを新幹線が通過していくのですが、気にならない音量でしょうか。

 

このあたりは区画を対角線状に高架橋が突っ切っているので、線路の東側から西側へ、そしてまた東側へとジグザグに歩きます。

しばらく歩くと「昭和橋人道橋」という不思議な名前の橋があり、小さな水路沿いは遊歩道になっていました。次回は車窓から見逃さないようにしたいものです。

 

「苅宿」の地域で、武蔵小杉よりは高い場所だろうと感じたのに「想定浸水深1.6m」と表示がありました。こんな低地を新幹線は通過しているのですね。

住宅が入り組み、苅宿小学校の校庭も複雑な形です。

 

おそらくその地名からもかつては二ヶ領用水によって潤されていた水田地帯で、少しだけ高い場所に集落ができていたのではないか、そんなことを想像しながらまた高架橋の西側へと出ると、そこには古い八幡宮のお社がありました。

E席に座ったら見逃さないようにしなければ。

 

ここから直線距離だと150mほどで、あのA席から見える広大な空き地のような場所ですが、ジグザグと住宅地を歩いて西加瀬の交差点へと出ました。

 

*広大な空き地の西側を歩く*

 

あの空き地の反対側の風景は記憶にありません。どんな場所なのだろうと歩き始めると、比較的新しい公社住宅がありそのすぐ横に小さな祠がありました。

新幹線の高架橋に向かって歩くと、住宅地の中に林や畑が残っています。東側とは雰囲気が違いますね。

 

高架橋のそばまで来ると「ダイワハウス巨大物流倉庫計画中止を」という幟が立っていて、初めて何ができるのかわかりました。

南道側には朝日プリンテック川崎工場と三菱ふそうトラック・バス川崎製作所第2敷地があったが、三菱ふそうトラック・バス川崎製作所第2敷地については2017年1月に大和ハウス工業に売却され、大型物流施設を含む複合施設が建設される予定であった。また、かつては荏原製作所川崎工場(1941-1985年)であった。

Wikipedia「西加瀬」「地理」)

一時期、白い真新しいトラックが整然と並んでいた風景を記憶しているのですが、何年ごろだったのでしょうか。

 

残念ながらだだっ広い空き地は工事現場で立ち入り禁止です。そこに立って新幹線を眺めることは諦めて、高架橋の西側を歩くと水量の多いきれいな川にぶつかりました。

川に沿って新幹線の高架橋手前にある石神橋(しゃくじんばし)を渡り、高架橋の東側へ出ると高架橋のすぐ下に祠がありました。

石神宮由来

祭神 石凝姥神(いしこりどめのかみ)

 

 古来 各村々には神様を祀って、厄病が入らないよう、又村内の安泰を祈るため道祖神を祀り、石神宮もその一柱であります。

 御神体には神霊が宿りその超能力により信奉する人々の願いごとが叶えられるとして篤く侵攻され村の守り神です。

 石神宮は嘉永年間に建てられて三百余年を経て昔を偲ぶ町内唯一の史跡、文化財であります。

 今日祠堂を再建し、石神宮を心のよりどころとして 一家の安泰と繁栄を願い町の発展を祈願するものであります。

神前に立てば祝詞が奏上されます。

 

未曾有の災害や感染症だけでなく政治の腐敗と国家の病の時代に身につまされますね。

こうした守り神の上を新幹線が通過していたようです。

 

ここから300ほど先でこの川は西から流れる矢上川に合流しますが、そこがあの慶應大学日吉キャンパスの下へと新幹線がトンネルに入る場所です。

 

帰宅してから石神橋を流れる川はどこから来るのだろうと確認すると、南武線の南側で二ヶ領用水から分かれる水路でした。

西加瀬もまたかつては水田地帯だったのでしょうか。

 

 

*おまけ*

ここまでが多摩川右岸の沖積低地だろうと想像がついたのですが、何の資料かよくわからないのですが国土交通省から公開されている「1.流域の自然状況」では、さらに詳細がありました。

 沖積低地をさらに細かく見ると、二子玉川ー溝口(18K)付近より上流は扇状地性平野、二子玉川ー溝口付近以東から六郷ー川崎付近(5k)にかけての地域は自然堤防帯平野、さらにそれより下流域は氾濫平野(三角洲・デルタ)に分けられる。

 

多摩川を越えてS字カーブで走行するあたりは、「自然堤防帯平野」というらしいです。

 

 

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