生活のあれこれ 40 言い得て妙「トナラー」

最近、なんだかグイグイと近づかれることが増えたと感じています。

 

スーパーでレジを待っている間にも背中のすぐそばまで気配があるほど列の間を狭められたり、二人で使うぐらいの幅の替え台でも他の人が終わるまで待てずに間にぐいっと入られることもしばしば。

プールの更衣室もガラガラなのに、なぜかすぐ隣のロッカーを使い始める人がまたちょっと増えた感じです。

あるいは電車内に数人しかいないのに、私ともう一人の間にあえて座ってくるのはなんなのだろうと。

 

で、だいたいそういう人は物や体がぶつかっても無言なので、温厚な私(!)でもその無神経さにちょっとイライラしてしまいます。

 

少し前までは人との距離を自然とあけるようになって、大変だった未曾有の感染症の中でもこれは良い習慣になって、社会のマナーとして定着しそうと喜んだのも束の間という感じですね。

 

最近、こういう人を「トナラー」と呼ぶことを初めて知ったのですが、最近のなんでも名前をつけて分類してしまう風潮もなんなのですが、これは言い得て妙だし結構ほかの人も感じていたのだとわかりました。

 

 

まだ一応、足元のマークやロッカーも注意書きが残っているのに、まるでそれどころかコロナでさえないことになってしまったかのか、あるいは反動の開放感から来るのかと思っていました。

ところが検索すると新型コロナの最盛期とでもいうのでしょうか、その頃からすでにその話題があって定義まであったのですね。

トナラー

人のすぐ隣(となり)に位置取る人。たとえば駐車場や、電車や映画館やサウナの座席、などで、他の場所がいくらでも空いているのに、わざわざ人のすぐ隣に来る人。「トナラー」という表現はもっぱら隣に来られる側(先客)の立場から「不快、苛立つ、迷惑だ」という意味・ニュアンスを込めて用いられる。

(「weblio辞典」「実用日本語表現辞典、2021年8月17日更新」)

 

「人のそばにいると安心」とか、たしかに「距離を空けられると、なんだか避けられているようで嫌だ」と感じていた人も身近にいるので、なかなか気持ちは難しいですね。

 

「人の嫌がることをしたい」「他人のことが見えていない」という人もいるらしいので、その場合は相手を変えようとしても無理なので、そっとこちらが引くしかないですね。

 

ということで先日、さっそくガラガラの電車内で隣に座られたので、そっと移動しました。

これを「瞬間移動」というらしいですけれど。

 

この30〜40年ほど人の行動や心理についてさまざまな言説が出てくるけれど、行き過ぎた「自分は大事」「自分はすばらしい」から、他人の存在を感じていないような大人が増えた失敗を繰り返さないようにするあたりが根本的な原因ではないか、これも「失われた30年」だと漠然と感じますね。

 

 

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