水の神様を訪ねる 69 吉野川両岸の水の神様を訪ねる

吉野川に沿って近鉄線の特急がさらに山へと入っていきました。

 

地図で見ると大淀町の中心部のある下市口駅のあたりは両岸が開けているように見えるのですが、実際には急斜面に街がありました。

上流はもっと斜面になるのだろうかと思っていると、高台にある大和上市駅を過ぎて吉野川を渡ると、吉野神宮駅周辺はむしろ川べりに街が広がり川幅も広くゆったりと流れていました。

 

計画の段階では終点の吉野駅まで行ってみようかと思ったのですが、駅周辺の九十九折りに見える道は距離的には近くてもかなり高低差のある場所だと想像がつきます。

「ちょっと散歩」という感じではなさそうなので、一つ手前の吉野神宮駅で降りて吉野川を眺めることにしました。

これが正解でした。地図ではその吉野神宮駅から数百メートルのところに吉野神社が描かれているのですが、実際に降りると大きな鳥居の向こうにハイキングコースのような参道が見えました。

 

地図で吉野川の両岸に「水分神社」があるのを見つけました。

この吉野川の左岸と右岸の水分神社を訪ねてみようと、計画ができました。

 

吉野川左岸の水分神社

 

8時59分に吉野神宮駅に到着しました。下車したのは3人ほどで、通勤のようです。

大きな鳥居から左へ曲がり、住宅地の下り坂を歩くと鎮守の森が見えてきました。

北側が崖のようなところです。静かな境内に小さな小さなお社がありました。御由緒の説明もなく、地域の氏神様のようです。

 

崖下は作業場のような敷地で、山からの水が流れているのでしょうか、水の音が聞こえてきました。

どことなく良い香りが漂う街です。しばらく歩くと大きな製材所があり、吉野製材工業共同組合の素敵な木造の建物がありました。

 

吉野小学校のあたりは川とそれほど変わらない高さで道がありました。

この辺りは水害が少ない地域でしょうか。

川沿いに歩くと小学校の向こうに大きな橋が見えてきました。右岸側はこちらに比べると山沿いの斜面に雛壇のように長細く集落が続いています。

橋の真ん中でしばらく、吉野川が上流の山からゆったりと流れてくるのを眺めました。

下流側には先ほど渡った鉄橋が見え、列車が通過していきました。山中なのに、近鉄吉野線は列車の本数が多いようです。

 

 

*右岸の水分神社を訪ねる*

 

橋を渡るとこちらがわも河川敷とそれほど高さが変わらない場所に国道169号線が通っていますが、交通量も多く、歩道も白線だけのようです。

本当は吉野川の水面を眺める予定でしたが人が歩く雰囲気の道ではなさそうだったので、少し斜面を上って一段高い場所を通る道を歩くことにしました。

道に面してお店が並んでいるので、こちらが旧道でしょうか。

時々家が途切れるところから吉野川が見えました。

 

しばらく歩くと近鉄線の下をくぐり、また国道169号線と合流しました。山側にある歩道を200mほど歩くと、また旧道らしき道に分かれました。その先に右岸側の水分神社があるようです。

 

落ち着いた昔ながらの住宅が並び、山側の急斜面の上に水分神社がありました。参道は見上げるような石段ですが手すりがありません。後ろを振り向いて吉野川を眺めたかったのですが、バランスを崩したらそのまま転落しそうなので、途中休みながらも前だけを見て登りきりました。

 

登りきったところにある木でできた山門のような建物をくぐり、振り返るとまるで額縁の中の絵のようになって吉野川を一望できました。

ここも御由緒らしきものがなかったのですが、何百年もあるいは千数百年も、この地域の方々はここから吉野川を眺めて暮らしてこられたのでしょうか。

 

ふと我に帰り「あの石段をどうやって降りようか」と不安になったのですが、東へと緩やかな参道があるのに気づきました。男坂と女坂だったようです。

 

また先ほどの国道169号沿いに歩くと、水の流れが緩やかな場所に二十羽ぐらいの白鷺がいるのが見えました。

 

 

*水分(みくまり)神社*

 

散歩の計画を立てる段階ではあまり細かいことを検索しないまま出かけるのですが、「水分」という字面から「洪水によって袂を分つ」とか分水嶺の「水(み)分かれ」あるいは深大寺用水の「水分かれ」といったことを想像していました。

 

なんと読むのかさえ確認しないまま訪ねたのですが、「水分」で検索したら吉野水分(みくまり)神社があり「水分=水配り」と書かれていました。

葛城水分神社都祁水分神社宇太水分神社と共に大和国四所水分社の一つとして水の神を祀り古くから信仰されてきた。約700年前の室町時代より当社境内で御田植神事(後述)が行われているが、神社がある吉野山では水田が無いにも関わらず神事が行われるのは、里に水を行き渡らせる「水分」の神が祀られているからである。

Wikipedia吉野水分神社」「歴史」)

 

 

過去の自分の記事を検索したところ、大和川の川合にたつ廣瀬大社の前の水田に「水分神」が建っていたことや愛知用水神社の総本社は吉野水分神社と書いていたこととつながりました。

 

旱天に雨を祈る農耕の神をまつった神社。

コトバンク日本国語大辞典

 

 

 

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