散歩をする 507 ただひたすら川と水路と田んぼを歩く〜大井川・天竜川編〜

ガラガラとほんと人ひとりが入りそうなキャリーケースを引いて歩く人が増えた中で、私の2泊3日の散歩は肩にかけるバックに荷物をまとめる軽装です。

80年代ごろから東南アジアを行き来していた時も少し大きめのバックパックに最小限の着替えと荷物にしていましたが、担いで歩くと背中が熱くなるのが嫌になり、最近は肩にかけるタイプに戻りましたが、荷物は最小限にというあたりがこだわりでしょうか。

 

そう、あの頃から私は観光とか旅行ではなく、旅だったり、体験学習と訳すのでしょうか、「expsure」でした。

そして最近は遠方でも近場でも、「散歩」や「散策」でしょうか。

まあ、いろいろな旅がありますからね。

でも新幹線のホームに立つと、やはり「観光客」にひとまとめにされてしまうのかな。

 

そんなことを思いながら2月中旬、いつもよりはゆっくり目の出発で7時34分発のこだまに乗りました。

 

 

*豊川用水東部幹線水路のやり残しの課題*

 

昨年10月に豊川(とよがわ)から取水している牟呂用水と豊川用水を訪ねた時に、「豊川の水は渥美半島、静岡県湖西市まで行き渡り、この地方の農業、工業における今日の発展の礎となった」ことそして上流では天竜川の水が送水されていることも知りました。

 

以前、地図を眺めていた時に湖西市に湖西用水を見た記憶があったのですが、それ以来最大限に地図を拡大しても再び見つけられないままでした。

「やはり静岡県にも送水されているのか」とまた地図を眺めていたところ、小さな水色の四角が描かれていて「湖西用水」と表示されている場所を見つけました。

 

東海道新幹線浜名湖を越え、静岡県から愛知県へと入るあたりに広々と田園風景が見えて、そこに小さな川が流れているのが県境の「境川」ですが、この地域もまた県境を超えて豊川用水の恩恵を受けているのかもしれません。

歩いてみたいものです。

 

 

*大井川も歩いてみよう*

 

なかなか歩くことができないままだった大井川にも足を伸ばしてみることにしました。

東海道新幹線で焼津を過ぎると内陸部へと入り、遠くまで開けた水田地帯が見えて大井川を超えます。

東海道本線の駅からも海岸沿いは遠いので、どうやったらあの水田地帯を歩けるだろうかと思いながら通過していました。

大井川左岸の河口にある大井川港の近くまでバスがあることがわかりました。大井川の河口を眺められそうです。

 

あの広大な水田へはどうやって水が送られているのだろう。

その水路は複雑すぎてわからなかったのですが、大井川左岸をさかのぼって眺めていたら島田市向谷の水路沿いに「大井神社」「水神社」があるのを見つけました。

 

今回は大井川左岸の下流を歩いてみよう。

 

 

天竜川も歩いてみよう*

 

2019年春に天浜線で天竜川の鉄橋を渡ったことがきっかけで、夏にはその「天竜川の始まり」を見に行ったのでした。

ほんの数年前は天竜川が諏訪湖から流れ出ていることさえ繋がっていなかったのですが、以来、天竜川を渡るたびにこの川も歩いてみたいと地図を眺めていました。

 

「越すに越されぬ大井川」も大きな川ですが、それよりもいつも水量が多い天竜川には圧倒されます。

その左岸には美しい水田地帯が見えそこに幹線水路らしい水路が見えます。上流へとたどってみたのですが、やはり複雑すぎて見失いました。

ふと「元圦」とついた場所を見つけました。

なんとなく気になってここを歩いてみることにしようと決めました。

 

天竜川左岸の水田地帯に比べると、右岸は浜松市街地という感じです。

堤防の近くの地域に「金原明善記念館」を見つけました。その名前は小学生の頃に習ったような気がします。

天竜川の治水と疏水に大きな役割を担った方だったようで、これは小学校の社会科からやり直しの散歩になりそうです。

 

ということで、大井川から天竜川、そして豊川用水からの湖西用水の歴史をたどる2泊3日の散歩の計画ができて出かけました。

そして東海道新幹線の車窓から見えた風景を歩きます。

 

 

しばらくこの散歩の記録が続きます。

 

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録のまとめはこちら