水のあれこれ 358 大井川と大井川港

いつもの品川駅のホームなのに、何か雰囲気が違います。音楽がどこからとも聴こえてくるのですが、誰かの音漏れにしては大きいし繰り返されるし変だなあと思っていると、出どころがわかりました。昨年10月でなくなった新幹線車内販売のために、ホームに設置されたコーヒーの自動販売機でした。

早朝の新幹線のホームの静寂も良かったのですけれど、ね。

 

今回はこだまで静岡駅まで、歩いた沿線の風景を見逃さないように集中し、無事に丹那神社が見守る丹那トンネル入口も一瞬でしたが見えました。

 

8時47分に静岡駅に到着。在来線への乗り継ぎ口に「大井川の水を守るために 南アルプストンネルにおける取組み」という詳細なパンフレットがあり、一冊もらいました。

これから訪ねる大井川ですからね。

丹那トンネルの上の歴史その一世紀後には美しい水田地帯の下を新幹線が通過していることとかさなりました。

 

 

*大井川港緑地公園と40周年記念モニュメント*

 

静岡駅から東海道本線に乗り換えて藤枝駅で下車、9時25分発のしずてつジャストライン藤枝吉永線に乗りました。

「田沼」というまさに以前は田んぼがあったのだろうなと思われる平坦な市街地を抜け、新幹線の高架橋の南側に出ると、車窓から見えていた水田や水路の風景が増えてきました。

真冬だというのに小さな水路でもけっこうな水量です。大井川のどこから取水されているのでしょう。

県道33号線を南へと走ると、「与左衛門」「弥左衛門」「上新田」といった地名に田んぼが増えていきました。どんな歴史がある新田なのでしょう。

この辺りは灰色っぽい土で、菜の花があちこちに咲いていました。

静岡県内では富士山の姿が刻々と変わるのですが、ここでは富士山がすそのまで見えます。

 

左手に航空自衛隊静浜基地が見え、海が近づいてきたようです。

中河原バス停あたりから水田が広がり、家のそばには棕櫚が植えられていて南国の雰囲気です。

「海抜6.9m」の表示が見え、さらに海へと近づいてきたところに「上河原」バス停がありました。中河原と上河原、上流と下流とは違う位置関係があるのでしょうか。

 

海岸線から1kmほどのところで南西へと曲がり、吉永八幡バス停で下車しました。

 

海風でしょうか、少し風が強くなってきたのですが日差しは春の暖かさです。ブロッコリーの緑が美しく、真っ青な空にどこまでも富士山が遮られることなく見えます。

水路が広くなったあたりで「利右衛門」という地域に入り、水田から工場や港湾施設の地域になりました。

 

歩く人もいない中、港のそばへいくと小さな人工の滝から水路がある公園がありました。

大井川港緑地公園

 大井川港緑地公園は、平成5年度から大井川港港湾環境整備事業の一環で整備を始め平成10年度で完成しました。この公園は、港湾内で働く人々の休息に供するために、又は港湾を利用する人々の憩いの場として供するために整備されました。

 

「誰もいないこんな場所に公園」と思ったのですが、そうですよね、9時半なので皆さん働いていらっしゃったのでした。

それにしても、今も滝と水路が美しく維持されているのはすごいですね。

 

 

少し離れた場所にも説明板がありました。

大井川港開港40周年記念モニュメント紹介

 このモニュメントは、3本の花崗岩御影石)からなり、大井川港開港40周年(1964年〜2004年)を記念するために設置したものです。

 モニュメントに使われている石材は、昭和40年代中頃の大井川港の建設工事中に地下10m付近から掘りだされたものです。石の形や色・質の状況から城郭石垣の材料として、周防(すおう、現在の山口県)方面から切り出されたものと思われます。なぜ、この大井川の地に埋もれていたかは、はっきりしませんが、江戸初期の天下普請の時、船にて海上運搬する途中に、この大井川の地で難破し、石が転落したものと思われます。その後、海だったところが長い年月の間に、大井川の流れが運び出した砂利によって埋まって陸地となり、その場所に、現在の大井川港が掘り込まれ造られたのも何かの因縁です。

 人ありき、歴史ありき。記念モニュメントはわが国の発展に尽くしてきた多くの先人たちの努力を敬うと共に、人と人とが助け合い、支えあって、共に未来に向かっていく、大井川港の飛躍・発展をイメージしたものです。

     平成16年8月15日 大井川町 大井川港防災振興会

 

 

*海か陸地か*

 

大井川港は私が幼児の頃に造られたようですが、この美しい公園と記念モニュメントからもう少し歴史を知りたくなってWikipediaの「大井川港」を読んだところ、港湾を造るということはこういう問題も起こるのかと初めて知りました。

 

土地取得問題

 

大井川港は民間の砂利販売業者である海運建材株式会社が、自ら所有する大井川河口沿いの土地から砂利を取得し、それによって生じた新たな海面を利用して砂利を船積み出荷するという過程で形成された湾状地形をもとに、約10億円の予算で築港整備され、旧大井川町に寄付されて正式に港湾化したという特異な設立経緯を持っている。そのため、大井川港が存在する海面は元々陸地であり、同社が所有する私有地であったという事でもある。

 

海運建材は旧大井川町に寄付を行う際に、元々陸地であった私有地約4700平米分の土地代を立替えるように町側に要請するも、当時の町長が海底面は既に土地ではないので、所有権もないという見解を示したことから、その後45年余りにわたり、公有の港湾でありながら湾内の海底に私有地が残る特異な状況が発生していた。

 

2008年、旧焼津市と旧大井川町が合併したことで新焼津市長は事態の解決に乗り出し、海運建材から競売で海底面を取得していた業者との裁判所での調停の末に、約2400万円で土地を買い取ることになった。しかし、前述のとおり「海底面は既に土地ではなく、所有権もない」という原則通り、この「用地買収」によって、それまで陸地として登記されていた土地が海底と認定され、正式に所有権も面積の項目も登記簿上から消滅するという事が確定。用地買収の結果、市の面積が減少したという結果に終わる珍事となった。

 

海と陸地の境界線、いろいろと難しいものですね。

旧江戸川の河口には境界線がないもそうでしたが、驚異的に海岸線が変化してきた時代に所有権をどう解釈するのかということも問題となっていたのですね。

 

ふと大井川の河口を眺めてみたいと思いついて訪ねた場所でしたが、その左岸側に四角く描かれた場所の歴史を知ることになりました。

 

 

 

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