観察する 41 <季節のゆらぎ>

11月下旬から12月初旬といえば、紅葉と皇帝ダリアのような晩秋の風景のはずですが、今年は冬を飛び越して春が来たのかと思うことがたびたびあります。


近所の庭では、水仙が11月から咲き始めていたましたし、沈丁花のつぼみが12月初旬ですでにふくらみ始めています。


2014年の水仙の記事では「今年は早いようです」と描きましたが、それでも12月中旬でした。
今年は11月下旬にはポツポツと咲き始めて、12月に入るといくつかの株が満開になりそうな勢いです。
その庭だけ特別かと思いましたが、都立公園協会のつぶやきでも、やはり咲き始めている公園があるようです。


沈丁花好きな花のひとつですが、子どもの頃の私にとっては「春が来た!」と告げる花でもありました。
当時住んでいた地域は、こちらの記事に書いたように寒冷地手当てが出るような場所で、給湯器のない洗面所の水での洗面は本当につらいものでした。
春のお彼岸の頃もまだ寒く、都内にあった墓地にお墓参りに行くのを楽しみにしていました。
寒冷地から都内へ行くと天国かと思うような暖かさの中で、墓地周辺には沈丁花の香りが満ちていました。


ですから今も、1月2月の寒さまっただ中に、通勤途中でみかける沈丁花のつぼみが少しずつ大きくなることで、希望の光をみているような気分になります。
その沈丁花が12月初旬にしてもう咲きそうなので、異常ではないかとちょっと心配になりました。


2014年1月のこちらの記事では、「12月には沈丁花のつぼみが出始めていて驚きました」と書いていますし、昨年1月にも狂い咲きか早咲きかでは「結局はいつも通りの開花だった」と書いていますから、まあ、こんなものなのかもしれませんね。


それほど正確な観察ではないけれど、こうして毎年「○○のつぼみがふくらんだ」「○○が咲いた」とブログに記録していると定点観測になるとともに、なんだか毎年「今年の天候はおかしいのではないか」とおろおろしている自分も客観的に見直せそうです。



<おまけ>


今日のタイトルを「季節のグレーゾン」にしようとふと思いついたのですが、その前に一応グレーゾーンの意味を確認してみてびっくり。
和製英語とあり、英語では「gray area」で、法に関することで使われているのですね。


ということで「ゆらぎ」にしてみましたが、こういう植物の開花までの季節の幅は、専門用語ではどう表現するのでしょうか。
言葉って難しいですね。




「観察する」まとめはこちら

木通

またまた呪文のようなタイトルですが、私自身、初めてあれをこう書くことを知りました。
あれとはこれです。


先日、録画しておいた「相葉マナブ」を観たところ、懐かしい木通についてでした。


小学生の頃、野生児で野山を駆け回っていた時の秋のおやつが木通でした。
ツルの先に紫色の実を見つけると、中の白い果肉を食べるのです。
ほんのりと甘い程度だった記憶しかないのですが、子どもにとっては貴重な食糧でした。
そして、自分で見つけて自分で収穫するという充実感も醍醐味のひとつだったのでしょう。


白い果実を食べ終わると、周りの皮はその辺にポイッと投げ捨てていました。
バナナの皮を捨てるように。


ところが、番組ではその木通の皮にひき肉を詰めて油で揚げる料理を紹介していました。
なんということでしょう、木通の皮も食べられるなんて初めて知りました。
クックパッドにも、「木通の皮と茄子の油炒め」とか「天ぷら」「味噌炒め」などが紹介されています。
ちょっとほろ苦さが美味しさのようですが、番組を見ながら想像するしかありません。


Wikipediaの「人間との関わり」には、知らなかったことが書かれていました。

種子を含む胎座が甘味を持つので、昔から山遊びをする子供の絶好のおやつとして親しまれてきた。果皮はほろ苦く、内部にひき肉を詰めて油で揚げたり刻んで味噌炒めにするなど、こちらは山菜料理として親しまれている。主に山形県では、農家で栽培され、スーパーで購入することができる。また、東北地方などでは、新芽(山形県新潟県などでは「木の芽」と呼ぶ)をやはり山菜として利用している。その他成熟した蔓は、籠を編むなどして工芸品の素材として利用される。また、秋田県では、種を油の原料としている。江戸時代から明治時代にかけては高級品として珍重され、明治以降生産が途絶えていたが、近年復活した。

皮や種も利用していたのですね。
種から油をとるには、どれだけの木通からどれだけとれるのでしょうか。


あの甘い白い部分は、「胎座」というのですね。
木通の実を生物学的な用語で説明すると、以下の通り。

受粉に成功した個々の雌しべは、成長して果実となり、10センチメートル前後まで成長する。9−10月に熟して淡紫色に色づく。成熟した果実の果皮は心皮の合着線で裂開し、甘い胎座とそこに埋もれた多数の黒い種子を裸出する。この胎座の部分は様々な鳥類や哺乳類に食べられて、種子散布に寄与する。


最近では、たまにですが、デパートで木通を見かけることがあります。
半世紀前は、木通というのは山に自生しているだけだと思っていました、現在では栽培されたものが流通しているようで、「山形県が現在全国生産量150tの大半を占めています」(丸果石川中央青果のサイトより)とありました。
受粉までの生活史も書かれていますが、ここまで観察されたからこそ、栽培も可能になったのでしょう。


2個で数百円ぐらいしたので、野生児のおやつ時代から考えると途方もない高級品ですが、木通の肉詰めを食べてみたくなりました。

カカオ

テレビ東京の深夜に放送していた「さぼリーマン甘太郎」は、甘いスーツを食べる時の甘太郎(かんたろう)の妄想が広がって行く様子がシュールで、でも最近の現実世界のほうがどこまでが妄想でどこまでが現実なのかわからないようなことが多すぎるので、むしろそのシュールさを楽しめました。


といっても、ご存知の無い方にはわからないですね。
もうすでに、Wikipediaまでできているようです。


その第11話「チョコレート」に、「カカオパルプジュース」を飲んでいるシーンがあって、へー、カカオにそんな使い方があるのかと驚きました。
どんな味なのだろうと、一緒に妄想の世界に引き込まれたのでした。


1990年代に行き来していた東南アジアのある地域で、カカオが実っているのを初めて見ました。
Wikipediaの写真にあるように、木の幹から直接、実がつきます。
ジャックフルーツもそうですが、日本ではまずこういう幹に直接実がなる植物を私はみたことがないので、熱帯という気候がなにか関係しているのでしょうか。


「これがチョコレートの原料なのか」とチョコレートが大好きな私は、現地でできたてのチョコレートを食べられるかもしれないとわくわくしたのですが、残念ながらこんもりと木が繁った庭にその1本しかありませんでした。
その地域をあちこち訪れたのですが、カカオの実を見たのはその1回だけだったので、たまたま植えられていたのだろうと思っていました。


カカオ豆の栽培というのは、バナナ綿のように広大なプランテーションをイメージしていましたが、Wikipediaの「生産」では「バナナやコーヒーといったほかの熱帯性植物とは違い、大規模プランテーションでの生産が一般的ではないことが挙げられる」とあり、その理由に「カカオの木は陰樹であり、大きくなるまでは他の木の陰で生育させる必要がある」と書かれています。


もしかしたら実がなっていないと私にはカカオの木か区別できなかっただけで、その地域の少数民族の人たちが庭でコーヒーの木を栽培していたのと同じように、家庭用にカカオを植えていたかもしれません。
森と畑の区別がつきにくいような農地があちこちにありましたから。


その庭でカカオの木を見た記憶では、少し茶色く熟し始めた数個のカカオポッドがなっていたように思います。
その中の種に当たる部分がチョコレートの原料になるカカオ豆で、しばらく発酵させてから加工することを教えてもらいました。


目の前の数個のカカオポッドから、どれだけの長い時間と工程をかけて、どれだけわずかなチョコレートになるのだろうと、気が遠くなったのでした。
それまでむむしゃむしゃとチョコレートを食べていたのは、なんと贅沢なことだったのかと。


そしてその時は、カカオ豆の周囲のパルプと呼ばれる果肉については話をきかなかったので、カカオ豆以外は捨てるのだと思っていたのですが、冒頭の番組で初めてカカオパルブも食用になることを知ったのでした。


カカオの学名は、ギリシア語で「神(theos)の食べ物(broma)」というのですね。
カカオをみて神は良しとされた時から、どれだけ長い時間をかけ、どうやってあの中に神の食べ物を見つけだしたのだろうと、人とカカオの歴史を妄想したのでした。

リンドウ

先日、仏花を手に電車に乗る人と何人かすれ違いました。
それで初めて、「ああ、今日はお彼岸なのか」と気づくぐらい、こうしたしきたりやら決まりごとに疎い私です。


ただ、いつごろからだったか、この秋のお彼岸の仏花にリンドウが使われていることが気になり出しました。


リンドウと言えば、裏山が遊び場で、遠足は裏山へのハイキングだった小学生の頃から身近な花でした。
少し空気が冷え始めた頃に、鮮やかな青紫の花が咲いている風景が大好きでした。
9月から10月頃だけ見ることができる、幻想的な色です。


その当時の仏花は菊ぐらいしかイメージが残っていないことと、あまり花屋さんでリンドウを見かけた記憶がなく、リンドウというのは野生の花のイメージでした。


1980年代頃からでしょうか、都内の花屋さんでリンドウが売られているのことが目に入るようになりました。
私が野山で観たリンドウよりももう少し青みが強く、まっすぐな茎に花がたくさんついています。
リンドウも栽培できるのかと驚いて、お店にあると買って帰り部屋に飾って秋を楽しみました。


しだいに、リンドウは秋限定ではなく夏にも冬にも見るようになり、いつごろからか仏花に加えられてセットとして売られているのが普通になりました。
私はリンドウだけを一輪挿しにさして飾るのが好きだったのですが、リンドウは昔から仏花だったのかなあとちょっといぶかしく感じています。


リンドウはいつごろから栽培されるようになったのだろうと気になり、検索してみました。
農林水産省の「平成26年度花き振興セミナー資料」の「花きの現状にいついて」という資料の25ページに、岩手県の安代リンドウが日本の生産地では1位でありオランダに輸出したり、ニュージーランドやチリで契約栽培をしていることが書かれています。


「安代りんどう」のサイトには、以下のように書かれていました。

りんどうは、リンドウ科の多年草で、山野に自生する花です。それが岩手県内で本格的に栽培されるようになったのは、1955年代後半からで、岩手の風土にあったオリジナル品種を育成し、1965年代後半から安代町を中心に積極的に栽培が開始されました。1985年には、生産量、栽培面積ともに岩手県八幡平市安代地区(旧安代町)が日本一になりました。


私が20代に入った頃から、リンドウを花屋さんで見かけるようになった印象があったのも、あながち間違いではなかったようです。
たぶん、都会で仏花に入れられたのもこの頃からではないかと想像していますが、事実は如何に。


子どもの頃は野山でしか見ることができなかったリンドウを、家に飾ることができたことが嬉しかった記憶には、こんな栽培の歴史があったのですね。
久しぶりに、リンドウを買ってみようかなと思った次第です。

境界線のあれこれ 78 <「動く植物」と「動かない動物」>

「動物」といってもあまり動かない動物もいるのだなと印象に残ったのが、いつごろだったか忘れましたが、日本にナマケモノが紹介され始めた頃でした。


排泄以外は木の上でじっとしている、しかもその排泄も週に1回という動かなさに、人間が「何のために生きているのか」と真剣に考えていることが逆に滑稽に感じたのでした。


Wikipediaの説明を読むと、枝の上に丸くなって寝ている姿が樹木の一部のように見えたり、被毛には藻も生えて、まるで植物の一部になったかのようになるのですね。
ホント、世の中には面白い生物がいっぱいいるものです。


ミツユビナマケモノは泳ぎは上手だそうで、「生息地のアマゾン近辺では雨季と乾季があり雨季には生息地が洪水にさらされることもしばしばあるため、泳ぐ技術を身につけていない個体は生存できないからである」とのこと。


ふだんは木の上でぼーっとしているのに、洪水がくれば上手に泳げるなんて、うらやましいことです。
私が日々、練習をしているのはなんなのか。
「やるときはやるんだからね」とぱっと動ける動かない動物を見ると、ちょっと何かができると偉そうにしがちな人間は滑稽だなあ。



<植物と動物の違いはなにか>


最近、動物園水族園そして植物園に足繁く通うようになって、ふつふつと小学生のような疑問が出てきました。


ほとんど動かない動物もいれば、動く植物もいます。
虫が触れると一瞬でとらえるような食虫植物は、触れると反応し、筋肉のような組織もないのに動きます。


一見、動きがない植物でも、成長を定点観測すると、一晩で数センチも伸びていたり、花から果実へと変化していて、そこには「動き」があります。


「植物と動物の違いは何だろう」と。
植物と動物には歴然とした違いがあり、明確に定義された何かがあるはずと、もしかしたらずっと思い込んでいただけなのだろうかと気になったのでした。


で、まずはWikipedia植物を読むと、「植物の定義が定まらないため、なるべく植物という名を避け別の呼び名を使う傾向がある」と書かれていました。
動物では、こう書かれていました。

生物を動物と植物に二分する分類法は古くから存在しており、アリストテレスは感覚と運動能力の有無によりこれら二つの分類を試みている。ただし、中間的生物も存在することを認めていたようである。18世紀の生物学者リンネ(Carolus Linnaeus)は、感覚をもたない植物界と、感覚と移動能力を持ち従属栄養的である動物界とに、生物を二分した。


私の素朴な疑問も、あながちピントはずれではなかったようです。
明確な定義はしにくいし、二分できるという単純なことではないということなのですね。


そしてふらりと書店に行って見つけたのが、「植物はなぜ動かないのか 弱くて強い植物のはなし」(稲垣栄洋氏著、2016年、ちくまプリマー新書)でした。


人為的な分類について、こう書かれていました。

 生物の世界を、どのように区分すべきか。驚くことに科学技術が進んだ現代においても、その分類方法が確定しているわけではない。


 しかし、それもやむを得ない話である。東北と九州が明らかに違っても、日本列島には何の境界線も引かれていないように、イルカとタンポポが明らかに違っても、生物の世界にも明確な境界があるわけではない。


 自然界は何の境界もないボーダレスの世界である。しかし、知識で情報を整理する人間は、境界を作って区別しないと理解できないので、線を引いているのである。系統分類といっても、所詮は、人間が自分たちのために作った分類にすぎない。
(p.25)


たしかにそうですよね。


自分の中にある植物と動物に対する固定観念をいったん捨てて、何をどのように分類されてきているのか、この本で頭の整理をしようと思いました。
高校生向けの本なので平易な書き方ですが、実はとても難しい内容で、骨の折れる読書になるのかもしれません。




「境界線のあれこれ」まとめはこちら
「動かない」ことに関する記事のまとめはこちら

エアープランツ

今年はパイナップルについていろいろと回想したり、そのトリビアに「へーっ」と驚くことが続いています。


8月に訪れた国立科学博物館筑波実験植物園の温室でも、エアープランツがパイナップル科であるという展示を見て、初めて知りました。
たしかに種類によってはなんとなくパイナップルの葉に似ていますし、葉の表面から水分を吸収する仕組みがあることを知ったあとだったので、なるほどと思いました。


Wikipediaエアプランツにはハナアナナス属のさらにチランジア属のことと書かれていて、その説明の「分類」を読むと500種類以上もあることに、どうやってそれだけ観察され、そして分類したのだろうと、その知識の精密さにくらくらとしてしまいます。


私が初めて日本でこのエアープランツを見たのは、1990年代初頭だったような記憶がかすかにあります。
普通の花屋さんではなく、デパートにある珍しい植物を揃えた店だったような気がします。
そして、初めて見たその姿に驚いたのと同時に、ブーゲンビリアなどに感じる懐かしさがあったので、もしかしたら東南アジアの軒先で似たような観葉植物を見ていたのかもしれません。
もう少し検索してみると、1980年代には日本にエアープランツが入って来ていたようです。


初めて見た時には、「空気中の水分だけで生きられる」ことにおおいに魅かれました。
アボカドの栽培にも失敗し、ポトスでさえ枯らしてしまう私ですが、これなら育てられるかもしれないとちょっと期待したのでした。


でも、もし放ったらかしていても大丈夫そうなエアープランツでさえ枯らしてしまったら、私はもう立ち直れないかもしれないという不安がどこかにあったのか、実際に買うことはありませんでした。


Wikipediaの「エアープランツ」にも、園芸植物としての魅力として手軽さが書かれていますが、「栽培」にはこんな説明があります。

「エアープランツ」として売られている場合、週に2、3回霧吹きをするだけで簡単に育てられる様な旨が書かれた説明書きがついている場合が多い。しかし、実際には簡単ではなく、むしろ育成にはランのようにコツが必要で、環境づくり・管理の難しい植物である。また、種によって日照・水(湿度)・温度等の生育条件は様々なので、個々に調べて理解しておく必要がある。

ガーデニング花図鑑」というサイトでは、「残念なことですが非常に多くの人がエアープランツをミイラにしてしまっています」とありました。


ああ、よかった、手を出さなくて。
私が植物を上手く育てられないのは、能力のせいではなく、不規則な仕事なので丹誠込めてという時間がないという理由にしておきましょう。


でも、見れば見るほど、不思議なパイナップル科の植物ですね。

思い込みと妄想 38 <蓮の幻想>

6月下旬の蓮の花が咲き始めた頃から、今年の夏は不忍池の池に4回ほど通い、そろそろ花もおわりに近づいてきました。


6月はまだ、蓮の葉の丈も数十センチから1メートルぐらいだったものが、どんどんと花を開かせながら、行くたびに背丈が伸びて私の身長をこえるくらいになっています。
不忍池の真ん中にあるカワウの島も見えにくくなるほどです。
蓮はこんなに大きな植物だったのかと、驚きました。


6月の頃にはまだ頼りない葉が多かったものが、8月に入るとどんなに強い雨にも耐えられるかのように頑丈で大きなものになっています。


先日は、ちょうどポツポツと雨が降りだしたので、その葉のロータス効果をながめていました。


大きな葉に落ちた雨の雫が、その振動で葉を揺らし、揺れる度にそれぞれの雫がまとまっていきます。
あっという間に、円錐形の葉の中心部に500円玉ほどの雨水がまとまりました。
雨水をまとめるそのしくみは手品をみているかのように鮮やかですが、そのままでは漏斗のような葉の中心部に雨水がどんどんとたまってしまいます。
どうなるのだろうと見ていると、雨とともにわずかの空気の動きが葉を大きく揺らし、するっとその大きな水玉を池に落としたのでした。
葉の上には、何も残っていませんでした。


ああ、これがロータス効果と、しばらく見入っていました。


ロータス・・・なにか神秘を感じさせる?>


ロータス(蓮)」というのは、何か神秘さを感じさせるものなのかもしれません。
Wikipedia「象徴としてのハス」に書かれているように、「滑らかさや聖性の象徴として称えられることが多かった」とあるように。
そしてその「宗教とハス」にあるように、「女性」のイメージもあるのでしょうか。


ロータス」と聞いてまず思い浮かべるのが、「ロータスバース」です。
自然に臍帯が脱落するまで、生まれた赤ちゃんに臍帯と胎盤をつけたままにするというものです。


2年前にその記事を書いた時は、あまりの奇天烈さになぜ「蓮」の名前をつけたのかまでは深く考えなかったのですが、たしかに胎盤からへその緒は蓮の葉と茎に似ているかもしれません。
そして胎児は羊水の中で育ち、蓮の地下茎も水の中で生きているあたりで、胎盤をつけたままの新生児を蓮に見立てた呪術的なものだったのかもしれませんね。


ただ、その記事でも書いたようにさらに「子宮エコロジー」とかわけのわからない言葉へとつながっていくと、「神秘な女性性」に酔った人とは違う産み方をしたいという気持ちを駆り立てるのかもしれません。


ほんと、不忍池で蓮を眺めていると、ふと極楽にいるような気分になりますからね。




「思い込みと妄想」まとめはこちら

医療介入とは 99 <医療と植物園>

久しぶりの「医療介入とは」です。


最近、植物園や温室を巡る機会が増えたのですが、どちらといえば植物の多様生に改めて気づくことが増えて、世界はひろいなと感じることがきっかけでした。


植物園をまわると、どの植物園でもだいたい「薬草」の展示があります。
「ああ、これがジギタリスか」と、初めてその草を見ました。


そうだ、「病院+看護=近代医学」で紹介した「16世紀末のオランダで、大学に病院、植物園(薬局に相当)を付設」のように、植物園というのは薬になる植物と切ってもきれない関係があったのだろうと、また少し歴史がつながったのでした。


Wikipedia植物園の説明にも、「植物園(しょくぶつえん、botaniccal garden)は、単なる庭園ではなくその名botanic garden(ボタニック・ガーデン/植物学庭園)からも推測されるように、主として学術研究に供するために、植物学の視点で、特性ごとに収集された植物、花卉、樹木など標本類を生きたまま保存し、かつ研究の基準となる押し葉標本など標本類を蓄積保存する施設である」として、以下のように書かれています。


近代的な植物園は日本では市民の憩いの場、あるいは観光施設としての庭園としてのイメージが強いが、歴史的にみるとこのような学術的な色彩の強い場であり、さらには遺伝的資源収築の拠点、つまりジーンバンク(Gene bank)として重要な役割を果たしてきた。そのため、各国の主要植物園の歴史を紐解くと、イギリスがパラゴムノキをブラジルからひそかに盗み出した事件など、国家的な遺伝子源の争奪戦のドラマが、植物園を舞台に繰り広げられて来た。

こうした学術色の強い植物園の最古のものは、エジプトのアレクサンドリアにあったアレクサンドリア図書館に隣接して設けられていたものだと思われる。アレクサンドリアのものは、薬草として使うために、種類ごとに採集、分類して栽培されていたものだと伝えられている。用途はハーブオイル、治療など多岐にわたる。

東南アジアで少数民族の村を尋ね歩いていた時にも、「まだまだ薬になる原種がこの熱帯雨林にたくさんある」「それを求めて、欧米や日本からさまざまな人たちが来る」と聞きました。


また、「植物の持つ特性を変えてはいけない」と正確に描くボタニカルアートも、それが薬にも毒にもなるからこそですね。


「こういう症状にこの植物が何か効くらしい」と経験的に積み重ねられて来た知識が、「この量で効果があり、この量で毒となる」とわかるようになったのも、人間の歴史からみたらここ1世紀とかの話なのかもしれません。
そうなるまでに、どれだけの失敗や犠牲があったのでしょうか。


植物園をまわりながら、そんなことを考えています。



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境界線のあれこれ 77 <薬と毒とファンタジー>

今年の夏の課題図書である「水草を科学する」(田中法生氏著、2012年、ベル出版)を読み、その「水草展」にも出かけ、池や川辺で水草を眺める日が続いています。
水の中で生きる植物の不思議な世界が目の前にいつもあったのに、何も気にしないできたことを悔やんでいます。


そして初学者にも入りやすく書かれた本が手に入るのも、良い時代だと思いました。
でも、やはり専門的な内容が多いので、専門用語でつまずきながらけっこう読むのには時間がかかりました。
そんな時に、「水草展」で映像や写真、そして実物を観る機会があって、理解の助けになりました。


ただ、その「水草を科学する」の中で、一カ所、「第5章 人間の生活と水草」の「2 人間が利用する水草」に書かれている「薬になる水草」(p.214〜)が気になりました。


「植物に含まれる薬用成分は、今もなお研究対象であるほど、多様で未知の可能性を秘めています。ここでは薬用になることが知られている水草を紹介します。」として、以下のように「ハス」が紹介されていました。

果実は蓮実(蓮子)として、滋養強壮。種子は、蓮肉として、滋養強壮。花托は蓮房として止血、駆瘀血(くおけつ)。根茎の節部は、藕節として止血、駆瘀血。蓮根(藕)は止血、駆瘀血。葉は、荷葉として、暑気を解き、止血の作用があり、浮腫、めまいなどに用いられています。


たしかにの記事を書く時に、Wikipediaでも蓮の効能が書かれていていました。
助産院で「止血作用があるから」とレンコンジュースを飲ませた助産師がいたこととつながったのでした。



<「効果がある」に弱い>



上記の「ハスの薬効」の中で、医学用語として私が理解できるのは「止血」「浮腫」「めまい」だけです。
それ以外の「滋養強壮」「駆瘀血」「暑気」は、日常の会話としてはなんとなくわかるのですが、それが医学的にどのようなことかと問われると答えられない概念です。
また、ここで使われている「止血」も、私が学んだ「止血」とは異なる意味かもしれません。


出血には様々な機序があって、それに応じた止血方法が医学の中ではわかってきていますから、止血方法を間違えれば害になることもあります。
たとえば、産科的な出血でも使ってよい「止血剤」と使わない方がよい「止血剤」もありますし、状況によってはまず輸血を考えた対応が必要になります。


産科医のいない助産所での分娩で「止血しなければいけない状況」というのは出血多量でしょうから、たとえレンコンに止血作用があったとしても「レンコンジュースで予防」したり対応できるような悠長なものではないので、私からすれば「何を馬鹿なことを言う助産師がいるのか」と恥ずかしい話です。


ただ、やはり「効果がある」「効能がある」話に、人は弱いのかもしれません。


<薬にもなれば毒にもなる>


看護学校で初めて「薬理学」を学んだ時に、医療従事者にしか使うことを許されていない薬があること、それは市販の薬とは一線が引かれていることを初めて知りました。
そして、「薬」には普通の医薬品以外に「毒薬」「劇薬」があって、厳重な管理が必要であることも知りました。


薬というのは量と使い方を間違えれば、患者さんに致死的な毒となるものを使う仕事なのだと、緊張感をもって授業を聴いた記憶があります。


もちろん、医薬品でなくても毒になる植物は身の回りにたくさんあります。
これからシーズンになるきのこ類での事故や、水仙とニラを間違えて食べて亡くなるニュースは毎年繰り返されています。


また、たしかに毒だけでなく薬になる成分を含んだ植物も身近にあります。
キチガイナスビと呼ばれているチョウセンアサガオは、硫酸アトロピンという薬の原料だったようです。


少し口に入れただけで体に作用する植物もあれば、もしレンコンに止血作用のある物質が含まれていたとしてもどれだけレンコンを食べたらその効果が得られるのだろうと思うほど、微量である可能性もあります。


今後、レンコンから止血作用のある物質が見つかって医療に大いに貢献する可能性もあるかもしれません。
ただ、その場合には「駆瘀血」といった東洋医学的な表現は使われなくなることでしょう。


19世紀から20世紀にかけて、その微量な量まで正確にわかるようになった「量の概念」によって、代替療法から現代医学へと一気に変化したのだろうと思います。


そのあたりの認識がついていかないと、「西洋医学東洋医学」「近代医学と代替療法」という対立した概念のまま治療効果を受け止めやすく、ホメオパシーとかさまざまな代替療法のファンタジーへと引き込まれて行くのかもしれません。


この「量の概念」もニセ科学の議論で初めて聴いた言葉ですが、助産師に広がったホメオパシーの問題も、「どれだけ希釈されているのか」と少し立ち止まって考えることができれば広がることはなかったことでしょう。


そして「○○を食べれば効果がある」という話には、「効果が認められれば、日本であれば医療として認められて保険適応の薬品になる」「そうでないものは、通常に食べる量であれば気休め程度」ぐらいに思うことで、あやしいファンタジーや万能感とは距離を置くことができるのではないかと思います。


まあ、数字に弱い私が言っても説得力はないのですけれど。



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水のあれこれ 67 <水の制御と水草>

水草の本を読み始めてじきに、もう一度神代植物園に行ったら、国立科学博物館筑波実験植物園で「水草展」が行われるというチラシを見つけました。
しかも、その水草の本の著者によるものです。


なんという偶然でしょうか。
今まで行ったことがなかった筑波へ、今年は縁がありそうです。しかも、あの地図と測量の科学館へ行く時に道に迷ったあたりです。
これは「行きなさい」という神の啓示に違いないと、水草展へGO!となったのでした。


たくさんの水槽にさまざまな水草が展示されていました。
中でも印象的だったのは、どのように受粉が行われるか説明されていたブースでした。
水面に浮いているゴミや泡のように見えるものが花粉であったり、花粉を守って受粉させるための役目があったり、受粉までのしくみはその巧妙さに驚かされました。


小学生の頃には湧き水があちこちにある野山を駆け回って遊んだり、東南アジアで暮らした時には川へずんずんと入って沐浴したり、マングローブの中に入ったりしていたのですが、その水の中でこういう世界があることに思いも至らなかったのでした。
ああ、踏み荒らしてしまってごめんなさい。


<人間のための水位の管理と水草


その展示でさらに印象的だったのは、1993年以前の水管理方法に戻せばコシガヤホシクサを救えるという研究の説明でした。


「ふるさとの植物を守ろう」という日本植物園協会の「市民と植物園で進める絶滅危惧植物保全への取り組み」(2009年9月)に、その経緯が書かれています。
また、直接リンクできないのですが、環境省の「絶滅のおそれのある野生動植物の生育域外保全|取り組み事例」に「コシガヤホシクサ(地域関係者で協定を結んで行う野生絶滅からの野生復帰)」として挙げられています。


もともとコシガヤホシクサは、砂沼で長年続いていた水管理方法とよく共存して種を維持してきました。春の発芽前後に水位が上昇したあとの生育期は水中で過ごし、水田へ水供給の必要がなくなる秋頃に水位が落とされると、水上に花茎を立ち上げて開花し種子をつけます。花は水上にないと咲かず種子も作れないうえ一年草であるため、秋に種子が作れないと翌年にはコシガヤホシクサは消えてしまいます。水不足を背景に1994年から年間を通じて高水位を維持するようになったため、世界で唯一の自生地であった砂沼からコシガヤホシクサは絶滅しました。

このように砂沼でのコシガヤホシクサの絶滅は、秋に水位を下げなくなった水管理方法の変化によることが明らかだったため、1993年以前の水管理方法に戻すことによって、生育域環境を再現できる可能性がありました。そこで、筑波実験植物園では砂沼の所有者、管理者、利用者に理解と協力を求め、9月下旬から3月末まで水位を下げることに合意いただき、これによりコシガヤホシクサが自生していた砂沼の柳ワンドには、底土が露出する湿地が現れ、野生復帰への土台ができました。


コシガヤホシクサという名前も初めて聞いたのですが、人間側の水不足という不安を前に、関係者の方々を説得することはとても大変だったのではないかと想像しました。
マグロやウナギのように、「採りすぎない、食べすぎない」で資源が守れることがわかっていてもなかなか社会には広がらないのに、「コシガヤホシクサ、なにそれおいしいの?」ぐらいにしか思ってもらえなかったのではないかと。


水草展のあと、広大な植物園を歩いてみました。
神代植物園と同じように、道ばたの一つ一つの植物に名前がつけられ、大切に管理されていました。
それでもこの園内の植物は、私が一生かけても覚えられないほど多様な植物の、まだその一部でしかないのですが、その生活史を日々観察していらっしゃる方々によって守られていることに感動しながら、帰路についたのでした。




「水のあれこれ」まとめはこちら