新生児の哺乳行動とは 6 <腸内細菌叢>

ここ1〜2年ほど周産期関係の本で、新生児の腸内細菌に関する話題を目にするようになりました。
研究の積み重ねでようやくわかってきた分野ということなのかもしれません。


新生児の世話をしていると、うんちのにおいが変化してくるのがわかります。
最初の胎便の頃は無臭とはいえないけれどやや香ばしいような香りですが、生後2日頃になるとおとなのおならに近いような臭いがしたり、早い赤ちゃんだとヨーグルトのような甘酸っぱいにおいになります。
そしてうんちだけでなく、口からも吐く息が甘酸っぱいにおいに変っていきます。
中には生後2週間ぐらいたってようやく甘酸っぱいようなにおいがし始める赤ちゃんもいたり、個人差がかなりある印象です。


子宮胎内は無菌状態ですから出生後どんな変化が新生児の腸の中で起きているのだろうと、長いこと気になっていました。
書店の医学書コーナーに行くたびにこの新生児の腸内細菌について書かれた本がないか探しましたが、以前は見つけられませんでした。
唯一、お名前も出版社も忘れてしまったのですが、生物学者のエッセイの中に「人の腸内細菌は生後2〜3週間で形成される」という内容を読んだ記憶があります。


今回はそのずっと不思議だった新生児の腸内細菌叢について書かれた「小児内科」2010年10月号(東京医学社)、「特集 母乳育児のすべて」からいくつか引用してみようとおもいます。


「消化機能の発達と哺乳」(p.1597〜)

4 生体防御とバリア機能の発達
ヒトの腸内は出生までは無菌の状態である。出生後まもなく口腔、食道、消化管、皮膚などの粘膜にさまざまな細菌が増殖する。生後2〜3日で大腸菌や連鎖球菌群が出現し、生後1週ごろにビフィズス菌(Bifidobacterium)が最優勢菌群全体の90%を占めるようになる。腸内細菌叢は宿主が健康である限りきわめて安定であり外来性菌の排除を担う重要な生体防御因子である。この外来性菌排除機能はコロナイゼーションレジスタンス(CR:colonization resistance)とよばれ、嫌気環境でより有利に働くことが明らかにされている。ビフィズス菌が最優先菌群として存在する腸内環境はCRが高く感染症罹患率腸炎の発症率が低いことが知られており、その構築には母乳栄養が重要とされている。


「腸内細菌叢と母乳」(p.1639〜)

はじめに
ヒトを含めた自然界の動植物はすべて、さまざまな微生物と共存して生活している。しかし、もともと出生前の胎児期には、その体内および周囲の羊水腔は無菌状態である。それが分娩や授乳、親との皮膚接触などを通して無数の細菌に曝されることにより、皮膚や呼吸器、消化器など、外界と接する組織に常在細菌叢が形成される。

1 腸内細菌叢の確立
出生前には無菌状態である消化管内も、出生後は児の嚥下した細菌が定着し、数日から1週間程度で腸内細菌叢が形成される。形成される腸内細菌叢は、人種や国、食事内容によっても異なるが、たとえばわが国の新生児の腸内細菌叢の確立については、光岡らが以下のような報告をしている。児は分娩時にまず、母体の産道に由来するさまざまな細菌に暴露される。これら経口的に摂取された細菌のうち、まず大腸菌やレンサ球菌、クロストリジウム、酵母などが消化管内で増殖を始めて生後3〜4時間後ごろには便中に出現し始める。生後1日目には上記に加えて乳酸桿菌、ブドウ球菌なども糞便中に排泄され始め、総菌数は1gあたり10の11乗個以上に達する。その後も授乳や皮膚接触などを通じて介護者(主に母親)の常在細菌に暴露されるが、最終的には母乳栄養児ではビフィズス菌が最優勢の腸内細菌叢が形成され、同時に大腸菌やレンサ球菌、ブドウ球菌、バクテロイデス、クロストリジウムは、ビフィズス菌の1/100程度の菌数に抑えられて腸内細菌叢はほぼ完成する。

一方、さまざまな要因で正常の腸内細菌総の形成が阻害される場合がある。たとえば帝王切開児の場合、産道由来の細菌との接触がないため、生後6ヶ月まではビフィズス菌優位の腸内細菌叢を形成しにくいといわれている。また、母乳栄養児と比較すると、人工栄養児の便中細菌量は母乳栄養児の1/10程度であり、ビフィズス菌以外のざまざまな腸内細菌が比較的多く検出されると報告されている。
出生直後の母子分離と複数の医療スタッフとの接触抗生物質の投与なども腸内細菌叢の正常な確立を妨げる原因となる。こうした要因が重なってNICUでの治療が必要な病的新生児の場合、腸内細菌叢の形成が阻害され、ブドウ球菌類や緑膿菌大腸菌、腸球菌などの比較的強毒菌、あるいは抗生物質耐性菌が優位な腸内細菌叢が形成されやすい。


<新生児の便の変化についてのあれこれ>

生後1日から2日、あるいは3日頃まで、新生児が激しくなく時があることをしばしば体験します。
甲高い声で泣き、おっぱいを近づけてもミルクを準備しても決して飲まずに「泣き叫ぶ」という感じです。
額にだけ汗をかいていることもあります。口の周りだけ青くなり、うっくうっくと気持ち悪そうにして、お腹がきゅるきゅると活発に動いているのがわかります。


そんな状態が半日ぐらい続いた後、水っぽい母乳便になったり、ヨーグルトのにおいのようなウンチが出ることが多いです。
それまで目が覚めてもあまり深くおっぱいを吸わずにくちゅくちゅとしていることが多かった赤ちゃんたちも、その日を境にして急に深い吸い方が多くなります。おっぱいも急に張ってきて、良く出るようになります。


腸内細菌叢の変化がある程度解明されてきた内容を読むと、新生児のぐずりは腸内細菌叢の変化とも関係している可能性もあると推測していたことが当たっていたのかなと思います。


腸内細菌叢の菌は病的な菌ではないとはいえまったく無菌だった腸内に菌が増殖するわけですから、新生児にとっては「感染」ということです。
菌に負ければ病的な状況になっていくのですから、まさに命がけの変化ですね。


この生後1日前後に37.5度から38度ぐらいの熱のある新生児が、しょっちゅうではないけれど時々います。
以前は小児科の先生も全身を診察して問題がなさそうだと「飢餓熱」でしょうと判断されていた記憶があります。いつからか、この「飢餓熱」という表現も聞かれなくなりました。
この熱の発生機序も、この腸内細菌叢の形成と関係があるのでしょうか?


出生後2〜3日までの赤ちゃんの劇的な変化のひとつに、この腸内細菌叢の形成があると思います。
その間の哺乳行動も、ただ「母乳を飲む」の一言では言い尽くせないことをしているのだろうと想像しています。
なかなかおっぱいを吸わない赤ちゃんがいても、それは「乳頭混乱」とかお母さんの「おっぱいや乳首の形」の問題でもなく、あるいは吸わせるテクニックの問題でもないことがほとんどだと、私は考えています。


こうした新生児の経時的な変化をもう少し明確にし一般化する努力をしたら、新生児の哺乳行動についても「母乳」だけの視点ではないかかわり方を考えることができるのではないでしょうか。


また、たしかにより良い腸内細菌叢の形成のためには、出生直後にすぐに母子を分離しないことや初乳の大事さはあると思います。
NICU入院中の早産の赤ちゃんたちには、腸内細菌叢をより正常に発達させるための治療も始まっているようです。
以前ならNICUに新生児搬送した場合、お母さんの冷凍搾母乳は1回量が5ml以上とかにならないと受け付けてもらえませんでしたが、最近は出生当日からの1滴ぐらいの母乳でも1mlの搾乳用のシリンジ(注射器)の先端に吸い取って冷凍したものをNICUに届けられるようになりました。


ただし正期産児で経過に問題がない新生児であれば、状況によっては出生直後にすぐにお母さんと接することができずに保育器に入ったりミルクを補足しても、いずれはあのヨーグルトの臭いのうんちになっていきます。
また完全な人工栄養児も、健康に育っていく方は多いと思います。このあたりもどの程度、明らかになっているのか知りたいところです。
ですから出生後の腸内細菌叢がその後の人生にどのような影響を与えるかについても、まだ未知の世界です。