意識のバブル

私が20代から30代の頃が、バブル景気と言われた時代でした。

「バブル景気」という語は1987年に命名された。しかし、この語が広く一般に、実感を伴って認知されたのはバブル経済が崩壊したあとである。

たしかに当時はバブル経済の真っ只中だと感じることもなかったし、まして生活費を切り詰めて助産婦学校で勉強していた私は、卒業時には貯金が底をついていたので、好景気の実感もありませんでした。


ただ、1980年代から1990年代にかけて、日本の社会、日本人の意識がいろいろな意味で変化した時代だったのかもしれないと思うこの頃です。


最近は分娩入院でかかわる方たちのほとんどが昭和50年代から昭和63年までぐらいの世代ですが、どんな記憶が残っているのだろうと気になり始めました。
さらに、最近では平成生まれの方の出産もぼちぼちと増えて、あのバブルの頃に赤ちゃんだった人たちには、当然、あの時代の雰囲気はわからないのだろうなと思うことが増えました。


私が、自分の生まれた1960年代初め頃の出産や医療が本当はどのようなものだったか事実を知ることが困難なように、同じ時代に生きていてもなかなかその時代の雰囲気は伝わりにくいものですね。


<住宅すごろく>


wikipediaの「バブル景気」の中に、「住宅すごろく」について説明があります。

地価上昇を前提とした住宅取得のモデルも提示した。若いうちに小さいながらもマンションを取得し、それを下取りに出して順次条件のよいマンションに買い換えれば、最終的には望む戸建ての住宅を手にいれられるとされ「住宅すごろく」とも言われた。

また、「概要」の中には次のように書かれています。

また資産価格の高騰による好景気というように、株式や土地といった資産をもった人(持つ者)に恩恵力がもたらされたのであり、資産をもたない多くの人(持たざる者)に恩恵が及んだわけではなく、彼らにはバブル経済が無縁だった。

この「持つ者」への恩恵と、住宅すごろくの影響を実感したのが1990年代でした。


1980年代終りに助産師になってから十数年ぐらいは、自分の勉強のために産後に自宅訪問をさせてもらっていました。


1980年代末から1990年代初頭の頃は、まだ20代の出産がほとんどでしたから、訪問するのは20代の若い家庭でした。
ごくごくたまに、億ションと呼ばれるようなマンションに住んでいる20代の夫婦がいらっしゃって度肝を抜かれたことがあります。
当時はまだ珍しいオートロックの玄関で、入るだけで緊張する家でした。
都内23区でもまだ農地があちこちに残っていて、これから住宅街へ発展していく時期でした。そういう地主が親だったようです。


1990年代半ばから2000年ぐらいになると、DINKS(double income no kids、共働き収入、子どもなし)で貯蓄を持ちぎりぎり30代半ばになる直前に出産を選択する夫婦や、バブル好景気で親からの支援で数千万円以上はすると思われるマンションに住む20代から30代初めの夫婦の家を訪問する機会がぐんと増えました。


洗練された調度品や家具が置かれ、まるでインテリア雑誌のようです。


私と同じ世代あるいは私よりも若い世代なのに、なぜこんなに経済的に豊かな人たちが増えたのだろうと不思議でした。


たとえ共働きで切り詰めた生活をしても、こんな数千万から億のマンションに入居して生活をすることはできなさそうと、自分の給与明細を眺めたのでした。


「身の丈にあった」とでもいうのでしょうか、20代から30代の所得で生活をしているのだなと感じる家に訪問することのほうが少なくなってきたように1990年代後半に感じたのでした。


同じ頃、こうした経済力とともに「自信に満ちた」人たちが増えてきたように私は感じられました。
あ、もちろん私もその一人かもしれませんが。


バブル景気の残したもの。
なにか人の意識の中にも「自分を大きく見せる」バブルが潜んでいるように感じるのです。