「IT化」「デジタル化」「DX」と言葉が変化しながら広がっていて、その定義は何なのかよく理解できないままですが、「日本は〇〇化が遅れている」というのはちょっと違うだろうなと思っています。
世の中からだいぶ遅れて2004年にようやく携帯(ガラケー)を持った私ですが、iPhoneに替えたのが2011年でこの時にはまだ周囲でスマホを持っている人がほとんどいませんでした。
なぜiPhoneに替えるのは早かったかといえば、1990年代終わりにはすでに自宅にインターネットを引いてパソコンを使っていたからです。
1990年代に自宅にパソコンを入れるためには固定電話回線がまず必要でしたが、80年代に電話債券を購入していたのであとはADSLに変える工事があったくらいでした。
2000年代に入ってさらに光回線へと替えましたが、この頃には賃貸住宅でもLANコンセントがあるのは当たり前になっていたので特に苦労もなく変更できました。
ここ10年ほどであっという間にスマホが広がりましたが、20代30代の同僚と話をすると光回線を引ける設備はあっても「家にはパソコンはない」「パソコンはほとんど使わない」あるいは「固定電話がない」のが当たり前のようですね。
90年代ごろからのパソコンの設置工事を話しても、想像がつかないようです。
まあ、そうですよね。
*世界中でスマホが広がった10年*
日本だけでなく世界中で、この10年ほどでスマホが劇的に広がりました。
90年代まではフィリピンの友人とのやりとりも相手が電話を持っていないので手紙だったものが、パソコンでのメールも可能になりました。
それでも大半の人が電話とかメールとは無縁の世界だったのが、風景は30年前と変わらないのに、街ゆく人がスマホを持っている映像に浦島太郎の気分ですね。
東南アジアの国々だけでなく、1990年代初頭は人海戦術と人民服の国だった中国や軍隊の強い開発独裁で人権と闘っていた韓国なども誰もがスマホを持って、デジタル化されたシステムが紹介されています。
こういうのを見ると、「日本は遅れている」と思いたくなるのもやむをえないかもしれませんね。
* 各家庭にインフラのハードの設備があり管理できる*
そういう映像を見ると、海外ではスマホを使いこなして夢のような世界が先に実現したかのような錯覚を覚えますが、大規模な通信障害が起きたら大変だろうなと想像に難くありませんね。
端末は持っていても、wifiスポットに何かが起きれば代替方法がなさそうです。
貧富の格差や階層社会が改善したわけでもないので、何かあれば泣き寝入りなのだろうと想像がつきます。
スマホを使いこなして夢のような社会が実現したように見えても、各家庭の電気・ガス・水道・電話回線のようなインフラは不十分で、何よりも独裁的ですでに国民が監視されていたから強権的にスマホを広げることができたともいえそうですね。
プライバシーを守るという言葉さえ公に主張できない国々でもありそうです。
ゆくゆくはスマホだけにして通信費用を抑えようと思っているのですが、時々起こる通信障害のニュースに、リスク分散を考えて固定電話とパソコンを処分するのはもう少し様子をみようと考え直しています。
多くの住宅にこうしたすぐに電話やLANを引ける設備があるというのはすごいインフラだと思うし、90年代からみな試行錯誤しながらそういうIT機器を自宅に取り入れてきた国民の経験も馬鹿にできないものがあると思いますね。
ほんとうに遅れているのでしょうか?
90年代に各家庭にインターネットを引いた世代も高齢者と呼ばれるようになり、その基盤が安定してから生まれた世代に「遅れている」と言われるようになりました。
まあ、いつか来た道、いつかいく道ですからね。
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