行間を読む 39 <奥三面ダムに沈んだ村>

村井吉敬氏とその仲間と訪ねたダムには、新潟県山形県境にある奥三面(おくみおもて)ダムもありました。


奥三面ダムについては、頼みの綱のWikipediaにはまとめられたものが無いようです。
村上市のホームページに奥三面ダムがありました。


奥三面ダムは、村上市朝日地区から山形県舞鶴市を結ぶ朝日スーパーライン(県道鶴岡村上線)の途中にあります。新潟県が昭和42年の羽越水害を契機に、三面川流域の洪水防止、流水の正常な機能維持並びに発電を目的として、平成13年10月に完成しました。
新潟県では最初の放物線型アーチ式コンクリートダムで高さは116メートル、新潟県庁の1.3倍の高さがあります。

このダムが完成したことにより、三面川流域の水量をコントロールすることが可能となり、下流にある三面ダムとともに下流で暮らしている人たちの生命と財産を守る重要な働きをしています。またこのダムは磐梯朝日国立公園内に位置し、全国屈指のブナの天然林に代表される豊かな自然に恵まれています。その朝日山系の雄大な自然の魅力を生かすとともに景観に配慮した環境整備により、これからの観光や地域活性に生かされています。

このダムの建設により、旧三面集落の民族と森林文化、さらには縄文時代を中心とした奥三面遺跡群が水没しましたが、遺跡で採掘した土器などは平成17年7月にオープンした「縄文の里・朝日奥三面歴史交流館」で一般公開されています。


下流域で生活を守られた人たちがいる。
そして上流域にも生活をしていた人たちがいる。
それを記録映画として残した方がいました。


<「越後奥三面 山に生かされた日々」>



村井さんたちと私がこの奥三面に行ったのは1990年代半ばでした。
すでにダムの基礎工事が始まっていたので、水没予定の村に行くことはできませんでした。
また移転された方々は、村上市内に住んでいらっしゃる方が多かったようですが、直接お話を伺う機会は残念ながらありませんでした。


村井さんが姫田忠義氏の記録映画を借りて来て、自主上映会を開いてくれました。


Wikipedia姫田忠義氏の「略歴」に以下のように書かれてます。

1980年には、ダム計画で消え行く可能性があった、新潟県岩船郡朝日村の「マタギの里」として知られた「奥三面(おくみおもて)」集落を訪問。狩猟、焼畑、川漁、木の実採取などの日本人の古くからの営みのほとんどが行われていることに感動し、翌年から村の暮らしを詳しく記録して映像化した(なお「奥三面ダム」建設のため、1985年には閉村、2000年10月に、集落の跡地は水面下に消えた。


こうして1984年に「越後奥三面 山に生かされた日々」ができました。


四季折々の山の変化に会わせて、山菜採りや熊狩りなどの様子が淡々と残されていました。
静かだった村に、工事用のダンプカーが土煙をあげて出入りするようになった様子も残されていました。


そして1995年には「越後奥三面第二部 ふるさとは消えたか」で、マタギの生活から一転して都市での生活を余儀なくされた人々のその後の姿を記録したものを残されました。


2本の記録映画の細部は思い出せないのですが、観る前はダム建設に対する批判の気持ちが強くなるだろうと思っていたのに反して、なにか静かに、「答えの出せない」ものがまた心に残ったのでした。




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