2025-09-01から1ヶ月間の記事一覧

落ち着いた街 88 早津江から沖端へ、クリークの街

佐野常民記念館の展示を見終わり、訪ねて本当によかったと出口へ向かおうとしたら大きなパネルがありました。 「川副町空中写真集成図 昭和五十六年(1981年)」で、早津江川と八田江川に囲まれた地域に、海岸まで水田と複雑に入り組んだクリークに囲まれた…

正しさより正確性を 30 「理系だから」だろうか

佐野常民の人生や考えを知ることができた圧倒される記念館でした。 ただ、20年ぐらい前なら「伊能忠敬を顕彰する」のパネルの最後の文章もさらっと読み流して納得してしまったのだと思いますが、ちょっとひっかかってしまいました。 ちなみに佐野が講演した…

記録のあれこれ 227 佐野常民、「伊能忠敬を顕彰する」

佐野常民氏の生きた時代とその「ことば」に、後の世に続く普遍的なものを見出す人とそうでない人の違いはなんだろうと考えながら展示を見ていると、期せずして伊能忠敬という文字が目に入りました。 「時空年表外伝」という展示に「伊能忠敬を顕彰する」とあ…

行間を読む 243 佐野常民の生誕地とことば

柳川からのバスの終点、早津江で下車しました。目の前は真っ黄色の麦秋です。 この川副町早津江のあたりは一部にクリークが残っているようですが、地図で見ると「幹線水路徳永線」が佐賀江川から時々直角に曲がりながらまっすぐ太い水路として描かれています…

米のあれこれ 135 柳川から早津江へ、干拓地を走る

天気が崩れる予報の中、3日目の計画ができたのですが、テレビから翌日にはやまじ風のために予讃線が運休になることが伝えられていました。 翌朝6時にはまだ時々パラパラと雨が落ちているくらいでしたが、福岡には暴風警報が出ていました。 四国の「やまじ風…

境界線のあれこれ 108 現代の県境を越え、広大なクリークを見よう

大昔からの干拓に思いをはせる石丸公園のベンチで休憩したあと再び西鉄大牟田線に乗り、いよいよ柳川へむかいました。途中、八丁牟田あたりの風景で鳥肌が立ちました。たしか2022年に車窓から圧倒された記憶がある場所です。 水路があちこちにあり、田おこし…

事実とは何か 122 家庭で海苔を買えなくなったのは温暖化のせい?

ほんとうに海苔の値段が高くなりすぎて、買わなくなりました。 たまに市販のおにぎりや海苔巻きとして食べる程度でしたが、それさえも来たる年金生活を想定した攻防戦で緊縮財政ですから、今まで自分にご褒美と思って買っていた中食にもすっかり縁が遠くなり…

米のあれこれ 134 クリークの里石丸山公園とクリーク資料館

筑後川対岸の佐賀の空が煙っているのを見て翌日は雨だと確信したのは、今年3月の山火事のニュースを追っていた時に農家の野焼きは翌日が雨の日に行われるというコメントを読んで、今さらながらにそうだったのかと印象に残っていたからでした。 日差しが強い…

散歩をする 581 筑後川中流域右岸の車窓の散歩

期せずして訪ねることができた水神社で山田堰の歴史を読むことに没頭してしまい、西鉄甘木駅へ向かうバスの時刻が迫ってきました。 本当は堀川沿いに歩いて三連水車の里バス停からそのバスに乗る計画でしたが、間に合わなさそうです。 そして水神社の反対側…

水のあれこれ 432 世界かんがい施設遺産「山田堰・堀川用水・水車群」

山田堰を望む取水口の上に立つ水神社ですが、社殿の隣に作業小屋らしい場所があり、その壁に一面さまざまな説明がありました。 IDC 世界かんがい施設遺産登録 2014年9月 山田堰・堀川用水・水車群 山田堰は1663年に造られ、1790年河道全体を覆う「傾斜堰床式…

水の神様を訪ねる 112 山田堰と堀川用水の水神社

山田堰展望台の公園内にあった「周辺史跡等案内図」に「水神社」を見つけました。 享保七(1722)年、取水口を現在の位置に変更するための水門工事の安全を祈願して建立されました。 計画の段階で、大きな堰だから水神社があるはずと思って地図を探したので…

生活のあれこれ 69 置き配とオートロック、何の権限があって国交省が決めるのか

生活が危険にさらされたり事故につながりそうなことでも、簡単な「実証実験」とやらで国がサラッと決めてしまうことが増えたような気がするこの頃。 またまた驚くニュースが。 「置き配」利用拡大へ支援、配達員によるマンションのオートロックの開錠を共通…

散歩をする 580 原鶴分水路から山田堰へ

予定していたバスが行ってしまったので、本当は歩くはずではなかった区間の散歩へと重い腰をあげました。 次の目的地の山田堰は原鶴大橋から見えた、ゆったりと蛇行する筑後川が小高い場所で流れを変えるあたりの向こう側で、ここからは約2.5kmです。 距離は…

水のあれこれ 431 筑紫次郎の原鶴分水路へ

いよいよ筑後川にかかる原鶴大橋を渡ります。 堤防道路から見えたのは、予想よりも川幅も水流も少ない筑後川でしたが、なんといっても日本三大暴れ川のひとつですからね。最近は年々、大きな橋を歩くのに足がすくむようになりました。 当日の写真を見返すと…

落ち着いた街 87 大石水道ができて361年後の風景

計画の段階では、筑後川に合流する川のそばに水神社と用水路があるのでちょっと見てみよう、そして筑後川を歩いて渡って山田堰へ行こうと、あまり深く考えないで訪ねてみた場所でしたが境内の下を大石水道が流れ、そしてこの地域の農政に貢献された人の記録…

水のあれこれ 430 手に取るようにわかる大石長野水道の歴史

5月初旬の筑後川から遠賀(おんが)川の散歩の記録だったのに、うきは市の長野水神社にあった銅像の碑文からすっかり現代へと寄り道をしてしまいました。 さて、2003年(平成15)に建立された「長野水神社の由来」とは別に、大きな鳥居のそばに大石水道の「…

生活のあれこれ 68 玉虫色の「政治家ごっこ」に翻弄される生活

昨年10月の衆議院選挙もそして今年の参議院選挙も選挙公報を隅々まで読み、Wikipediaで候補者や政党の歴史を読み、選挙の争点についてもニュース記事を読み比べながら一生懸命考えました。 政党の変遷もねじれているので、元を正すと同じところに行き着いて…

記録のあれこれ 226 「ぶっ壊す」権力者ごっこの記録

コメ先物取引とは何か検索していると「ゲシュタポ」と呼ばれる人が決まる人事とか「否定するやからは、無知蒙昧で金融も経済も知らない」と激越したといった闘争的な話で、いったい誰が国民の生活を考えてくれているのだろうとこの世の中に嫌気がさしてきそ…

事実とは何か 121 「強い農業」と「農業改革」とは何か

「改革」と聞くと、漠然とながらも不安になるこの頃。 10年前の「農業改革」とは何だったのでしょう。 小泉進次郎・自民農林部会長「人寄せパンダ」を卒業?農業改革で手腕アピール 周囲から「出来レース」の陰口も・・・ (2016年12月2日、産経新聞、小川真…

米のあれこれ 133 コメ現物市場「みらい米市場」

昨年夏にいきなりお米の価格が上がり始め棚からも消えてしまった時に、どうやってお米の価格が決められてどんな流通なのか全く知らなかったことを痛感しました。 その時にこちらの記事で引用したNHKのニュースにあるように、「主食用のコメの価格をめぐって…

鵺(ぬえ)のような 36 「『菅案件』と言われたコメ先物取引本上場」

いろいろと検索していたら「堂島のコメ先物完全撤退が示した菅首相の影響力低下」という記事がありました。 自民党の抗議声明に書かれていた民主党の菅元首相かと思ったら、自民党の菅元首相でした。 日本語、難しいですね。 その記事を記録に残しておくこと…

記録のあれこれ 225 自民党の「米の先物取引試験上場の認可に対する抗議声明」

米を投機性の高い商品にしようという流れは、てっきり自民党の骨太の流れと「米というのは日本に残された最後の保護貿易」という人がかかわる維新の会だと思っていたら、2000年代には民主党が積極的に進めていたらしいことが少し見えてきました。 その当時の…

生活のあれこれ 67 生活や歴史の葛藤が感じられない「強い農業」

懐かしい筑後川流域の田園風景の写真を見ながら、2週間ほど前に「健全なる國家は健全なる農村の建設と農民生活の安定にあり」の下書きを書いておいたのですが、公開する前日に「強い農業」という言葉がニュースを流れていきました。 「強い農業」の発想欠い…

記録のあれこれ 224 「米の先物取引に係る国会議事録(抜粋)」

今年5月の自分の所属政党が答えるべき問いを農水省に答えさせて言質をとったかのような国会答弁でしたが、2005年にはすでに国会で米の先物取引の議論があったことを知りました。 どんな議論だったのだろう、当時から国会議員だったり政府参考人だった人たち…

記憶のあれこれ 185 記憶になかった米先物取引関連のニュース

2000年代に入って米先物取引が国会でも議論されていたらしいのに、まったく記憶にないのはなぜだろうと思い返すのですが、そうでした産科崩壊と呼ばれる時代にひしひしと医療に迫ってくる得体のしれない「聖域なき見直し」は何か、情報を探していた時期でし…

つじつまのあれこれ 65 コメ先物取引についての国会の答弁

私が初めて堂島米取引所を知ったのは、令和の米騒動以前でした。 大和川の旧河道を訪ねようと大阪の地図を眺めていた時に、堂島川右岸に「堂島米取引所跡」だったか公園らしい場所を見つけました。米に関する歴史がわかると思って検索したら、どうやらそこに…

記録のあれこれ 223 「健全なる國家は健全なる農村の建設と農民生活の安定にあり」

長野水神社の境内には、1953年(昭和28)の洪水について二つの石碑がありました。 昭和二十八年六月上旬連日の雨は農作物に莫大の損害を與(*の旧字体)えたが其後も○(*雨冠に各)れやらず二十五日夜半からは未曾有の大豪雨となり二十六日午前十時頃巨勢川…

水の神様を訪ねる 111 境内の下を大石水道が流れる長野水神社

期せずしてうきはの大正時代の灌漑用水の歴史を知ることになりました。 さあ、あと少しで2日目の目的の一つである長野水神社です。 隈上川の河畔に沿って長細く参道が続き、地図では同じ境内にもう一つ水神社が描かれている場所です。 川に沿って大きな古い…

米のあれこれ 132 うきはの田んぼと大石水道の記録

JR久大本線うきは駅に到着しました。なんとも愛らしい木造のこぢんまりした駅舎です。 お手洗いを使わせてもらいましたが、同じく古い木造なのにピカピカに掃除されていて「ニホン、スゴイ」と思いました。 駅の前に、2013(平成25)年に立てられた小さな案…

散歩をする 579 いよいよ三隈川から筑後川中流域へ

また寄り道をしてしまいましたが5月初旬の遠出の記録の続きです。 水郷(すいきょう)日田の水路沿いをくまなく歩いてみたいと後ろ髪をひかれながら、駅に戻りました。 木壁やベンチの美しく落ち着ついた待合室で待っていると、列車が到着しました。1両のワ…