散歩をする 137 信濃川と関屋分水

今回の旅の目的の最後のひとつが、関屋分水でした。

 

二十数年前に村井吉敬さんたちと三面川を見たあとに向かったのが関屋分水で、当時はなぜ村井さんがここを見ようと思ったのか理由を聞いたのかもしれないのですが、全く記憶に残っていません。

また、今のようにすぐに検索できるものもなかったので、ただただ信濃川水系の水を制御するシステムに圧倒されたままになっていました。

もう一度、あのあたりを見に行きたいものだと思っていたら、地図で「関屋分水資料館」があるのを見つけました。

 

*関屋分水とは*

当時は実際に訪ねてみても、信濃川と分水の位置関係などがよくわかっていませんでした。暇さえあれば地図を眺めるようになって、信濃川の流れ方が最近少し頭に入って来ました。

 

河川を思い浮かべる時、上流から下流へと蛇行しながら海岸線へ近づき、そのまま海へと流れるイメージがあります。

ところが信濃川下流は、しばらく日本海と並行に流れながら新潟市内を通って海へと流れています。

Wikipedia関屋分水の「上空から見た新潟市街地」の写真に「信濃川から分流し日本海へバイパスする水路が関谷分水」と説明がある通り、この市内を横切るように流れている信濃川の流量を減らすようになっています。

 

さらに「沿革」には、すでに信濃川の分水があることが書かれています。

信濃川の流水量を調節するための分水路としては江戸中期の享保期の享保年間に大河津分水が企図され、1920年代に開通したが、より下流にさらに分水路を開削する構想は江戸時代後期からあったと言われている。

享保年間は1716年から1736年ですから、200年後に大河津分水が完成したということになります。気が遠くなりますね。

それでも新潟市内は頻繁に洪水が起こり、ようやく1972年にこの関谷分水が開通したようです。

 

Wikipedia信濃川の「新潟県の水害」を見ると、1960年代は一回の水害で床上浸水が2000から5000、床下浸水は1万を超えていますが、1983年以降は被害が2桁まで減少しています。

開削の目的は洪水から新潟市を守ることである。1978年に信濃川下流域が大洪水になった際には早速その威力を発揮した。平成16年7月新潟・福島豪雨(2004年)の際にも洪水の大半を放流して、企図した治水対策機能を実証した。

 

2004年の豪雨の際には、支流では大きな被害はあったようですが、新潟市内は守られたのかもしれません。

村井さんたちと関屋分水を見学に行って10年ぐらい経ってからの水害なのですが、なぜか私の記憶には残らないままでした。

 

*再び関屋分水を見に行く*

 

新潟駅からは時間を節約するためにタクシーを使いました。行き先を告げましたが、私よりひと世代ぐらい若い運転手さんはご存知なかったようで、ナビゲーターで確認されていました。

母が東西用水酒津樋門を知らなかったように、日頃恩恵を受けているインフラというのは知られていないものなのかもしれません。

 

四半世紀ぶりの関屋分水が近づいて来た時、あっと思いました。

帰りは資料館から徒歩で越後線青山駅に行って、そこから新潟駅へ戻るつもりでしたが、分水路の対岸の「青山」はまさに小高い場所でした。

日本海沿岸の自然堤防の端を利用して、ここが選ばれ、開削されたのでしょうか。

四半世紀前は、まったく地形が見えていなかったのでした。

 

関屋分水路が日本海に注ぐところにあるのが新潟大堰で、そこに関屋分水資料館がありました。

こじんまりとした資料館ですが、歴史や写真がわかりやすく展示されていました。

 

90年代にはまだこうした国土交通省建設省)の施設を見学するのには、イデオロギーの相違を意識しなければならないようなちょっとした緊張感があった記憶があります。

ただ、あの時はどんな時にもまずは相手の話を聴く村井さんのおかげで、普段は入ることができないような新潟大堰の内部や指令室まで見せてもらったのでした。

 

あれから四半世紀を過ぎて、今ではあちこちのダムやさまざまな公共事業の場所にこうした資料館が併設されていることが珍しくなくなりました。

 

そして、さらにこの関屋分水でも「自然保全活動」が取り入れられているという展示がありました。

「粗朶沈床(そだちんしょう)」の整備によって湿地を取り戻し、「魚類にとって良いすみか」が計画されているとのことでした。

 

さまざまなことを地道に観察し続けている方々の仕事や学問も、こうして生かされているのかもしれませんね。

生物の生き様にはまだまだわかっていないこと、知られていないことが数多く残っている。 

 

科学の目的が客観的事実を積み重ね、万物の仕組みを法則的に認識することであるとすれば、知られていないことを記載的に明らかにしていく研究は、地味ではあるが間違いなくそれ自体に科学的な価値のある研究分野といえる。(「湿地帯中毒 身近な魚の自然史研究」) 

 四半世紀を振り返ると日本の社会の方向性もまんざらではないと、関屋分水を再び訪ねたことで思いました。

 

新潟駅からは上越新幹線に乗り、越後平野に広がる水田地帯をながめて帰路につきました。

 ただただひたすら川と海を見て、そしてさまざまな水田の美しい風景を眺め続けた2日間が終わりました。

 

 満ち足りた気持ちとともに、もっといろいろな川をじっくり見てみたいという願望が湧き上がって来ました。

困りましたね。

 

 

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