数字のあれこれ 1 <数字>

種痘後脳炎について考えているうちに、また不定期に書きそうな新たなタイトルを思いつきました。


「数字のあれこれ」
私自身は本当に数字が苦手。


その数字が苦手な私が何十年も家計簿をつけているのは、「自分を誉めてあげたい」レベルだと思っています。
以前のように手書きで書き込む方法だと、どこかで計算間違いをするとぜーんぶ書き直し、という悲劇はパソコンで管理できるようになってからはなくなりました。
それも継続できた理由のひとつかもしれません。



それでも消費税が始まってからは入力の面倒さが増しています。
外税として消費税分が明記されているレシートだといいのですが、内税として記載されていると引き算が本当に面倒。たかだか2ケタ3ケタの引き算なのですが、叫びたくなるくらい嫌い。


でも、数字は何を表しているのだろうと考えたりすると、それはそれでおもしろいので、数字自体は嫌いではないのかもしれません。
きっと、これはこんな時に使うフレーズかな。
「私のこと(計算)は嫌いでも、数字は嫌いにならないでください」



<数字の表現方法>



毎日、新生児を見ているとそれ以降の乳児や幼児は「いつからそんなことができるようになったのだろう」と畏敬の念がでるほど、とても成長・発達した存在に見えます。


幼児の発達については不勉強なのですが、あの時期のいつ頃、どのような形で「数の概念」のようなものに出会うのでしょうか?


「お菓子を1個」「おもちゃを2個」とか遊びや生活の中で、繰り返し繰り返し「数」を知るのだと思いますが、それもよく考えるととても不思議なことです。


私自身がいつ頃、数を理解したのかもまったく記憶にはないのですが、小学生になると具体的にその「数字」を学びました。
今だともっと早い段階の幼児教育なのでしょうが、半世紀前はまだのんびりしていましたからね。


小学校入学時に購入する算数セットのようなもので、数を覚え、そして数を文字にする。
そして足したり引いたり、掛けたり、割ったり。
今思い返すと、私自身がその当時どうやってその知識と概念を修得していったのだろうと不思議で仕方がありません。


そして、数字は日本だけでなく世界中に同じ数字があるということが、すでに幼児の頃から鮮明な記憶として残りました。


私の父は陸軍士官学校の学生終戦を迎えたのですが、学生でも中国に行っていたようです。
今では当時の記憶は全くなくなってしまったようなのですが。


父から教わったのでしょう。私は幼児の頃から中国語の数の数え方を知っていました。
「イー、アール、サン、スウ、ウー、リュー、チー、パー、シュー、シー」
今でもするすると出てくるその数え方ですが、3は日本語と同じ「サン」であったことと、他の国でも「数えること」は同じなのだということが記憶に深く残ったのでした。


その後、英語でも1から数を数えていくことを知り、そしてインドシナ難民キャンプで働いた時には、ベトナムカンボジアラオスの数の数え方を教わり、やはり1から始まって数字というのは読み方は異なっても世界共通なのかと目の前が広がったのでした。



Wikipedia数字にはどんなことが書かれているだろうと、ちょっとワクワクしながら見てみると、予想外の簡素な内容でした。


数字(すうじ、英:numeral)とは数(数値、数量:number)を表現するための記号(英:figure、英:digit)および文字(英:character、英:letter)である。

ただし日本では、数字は数自身と混同されることが多いが、これによって問題を生じることもある。

うーん。奥が深いですね。
でも紀元前4世紀ごろにまとめられたといわれる旧約聖書には、驚くほど数字で表現された箇所がたくさんあるように、人類の歴史とともに数字とは何か考え続けられて来たのでしょう。


膨大な人たちによって研究され考え続けられて来た数字について、その行間を考えるだけでも気が遠くなりそうです。



とんでもないタイトルを考えついてしまったなと思いつつ、数字が苦手だったからこそ思いついた、もっと日常の中の数字について書きたくなったのでした。





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