数字のあれこれ 40 <水準標石>

先日の猫の街の散歩は、地図で地名を見つけた偶然から思いついた大満足の散歩でしたが、もうひとつすごいことに出会いました。


境川西水門は旧江戸川との境にあるのですが、その堤防の上にリンド技師記念碑という小さな記念碑がありました。

イザーク・アンネ・リンド技師(1848–1941)は、オランダのアーネム市に生まれ、1872年(明治5)年23才の時に来日し、1875年(明治8)年までの4年間日本で活躍した土木技師である。リンド技師は、江戸川及び利根川筋に水位標を設置し、水位観測を開始した。
同時に江戸川河口の堀江から利根川まで測量を行い、清龍神社境内に「水準標石」を設置した。
そして堀江水準標の零位をY.P Yedokawa Peilとした。Y.Pは現在も利根川、江戸川の工事用基準面として使われている。これら日本における近代測量の基礎を成したリンド技師の功績を称え、ここに記念碑を設立する。

浦安市民活動センター」のサイトの「浦安の水辺をみるーリンド技師の功績を訪ねて」を読むと、2009年10月に、その記念碑が作られたようです。


それにしても、明治5年にこの漁村に現れた23才の若いオランダ人を見て、当時の人たちは何を思ったのでしょうか。
玉川上水をはじめ、日本にも測量技術の歴史は長いと思うのですが、当時、この水位標の意味や価値はどのように受け止められていたのでしょうか。
驚異的に変化した時代のとても大事な記録になる記念碑ですね。


<堀江水準標石>


帰宅して検索したところ、想像以上に貴重なものであることがわかりました。


江戸川河川事務所のサイトの「川について知る」に、この堀江水準標石について説明がありました。

堀江水準標石は、浦安市堀江の清瀧(せいりゅう)神社の境内にあります。


明治政府は、国内の河川管理・治水管理のため、オランダから高い土木技術を持つ技師団を招きました。河川を改修するにあたって最初に行ったのは、川の水位を測るための基準点を定めることでした。


明治5年(1872)、オランダ人技師の一人、I・A・リンドは、江戸川筋と利根川筋に水位標を設置し、水位観測を行いました。また同時に、江戸川河口の浦安堀江から利根川河口の銚子の飯沼観音(圓福寺)内に飯沼水準原標石を設置し、利根川河口の飯沼に設置した水位尺(量水標)の零位を日本水位尺(J.P.、 Japan Peil)と名付け、水準測量の原点と定めました。


堀江水準標石は、江戸川・利根川でリンドが行なった水準測量において設置されたものです。「日本の河川測量の原点」とされる飯沼水準原標石とともに設置された日本最古の水準標石です。


リンドは堀江水準標石を設置し、江戸川堀江水位尺(量水標)の零位を江戸川水位尺(Y.P.。Yedokawa Peil)と名付けました。リンドの残したY.P.は、現在でも河川の水位表記として使われており、利根川水系の河川工事・管理の基準のもとになっています。


「川の水位を測るための基準点」
これがあるからこそ、50年に一度とか100年に一度の洪水への対応がなされていくのでしょうし、リンドが来日してから47年後に江戸川放水路の開削も可能になったのでしょうか。


思いつきの散歩だったのに、貴重な歴史を知ることができました。
ただ残念なことにそこに水準標石というものがあるとは知らなかったので、清瀧神社の前まで行ったのに中には入らなかったのでした。
行き当たりばったりの散歩の、痛恨のミスでした。



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