記憶についてのあれこれ 113 <人はいつ頃まで素直に注意や忠告を受け入れるのか>

大人になると、なかなか人から注意される機会がなくなりますね。


注意だけでなく、助言でさえも自分自身を否定されたように感じて、なかなか素直に受け入れにくいものです。
そしてかえって感情的にこじれるので、周囲は腫れ物に触るかのように、そのことには触れずにいるのが大人の社会なのでしょう。


また注意や助言の仕方も、なかなか難しいものです。
単刀直入に淡々と事実だけを指摘するのがよいのではないかと思うのですが、それだけではかえって冷たく感じてしまう人もいるので、あれこれと気持ちを忖度する必要がある場合もあります。


あるいは目上や上司となると、もう誰も言えません。


仕事上の注意や助言でさえも難しいのに、その人の性格や言動、価値観といった部分になると、いつのまにか「あなたのこういうところは気をつけた方がよい」など誰も指摘してくれません。
自分で客観的になって、自分を変えていくしかないのが大人の社会なのかもしれません。


不思議なのは、子どもの頃にはたくさん怒られたり注意をされたのに、ある時期まではその記憶がほとんどないことです。


「これをしてはいけない」「それは悪いことである」「その態度は人を不快にさせるからよくない」「相手を傷つけるような言い方をしてはいけない」
子ども自身を守るための禁止事項から、社会的に守らなければいけないことまで、たくさんの注意や忠告をうけてきたはずなのですが。


私にとって、「罪とは何か」初めて考えさせられる注意を受けた記憶が残っています。
小学校4年生ぐらいだったでしょうか。
私が使っているうちに、学校の備品の一部が壊れてしまいました。意図的に壊したわけではなかったのですが、先生に伝える必要があります。
でも、その担任の先生は子どもの目から見てとてもえこひいきをする先生で、私は特別好かれているわけでも嫌われてるわけでもなかったのですが、正直に言うことがためらわれたのでした。
一晩、もんもんと悩み、翌日に私が使っていて壊れたことを先生に話しました。
先生は、「正直に話すことはとても大事だ。壊れたものは仕方がないのだから」とおっしゃったのでした。


あくまでも私自身のことなので他の方はどうなのかわからないのですが、小学校低学年ぐらいまでならあまり気にせずに「壊しました」とか「壊れちゃった」と告げて、「大事に使いなさい」と怒られたとしてもあまり記憶に残らなかったのかもしれません。
小学校4年生ぐらいになると「自分」の存在を自分で守る年齢になって、この時にも「えこひいきする先生だって悪い」と問題をすり替えようとしたのだと思います。
もしかすると、この年齢あたりから、なかなか素直に注意される立場を受け入れにくいのかもしれないと、時々思い出しています。
「他の人だって悪いことをしているでしょ?」「なんで自分ばかり言われるのか」という気持ちが出て来るやっかいな年齢にはいっていくことでしょう。



さて、昨日の「菜の花事件」ですが、10年ほど前に母が話してくれたことを思い出しています。


40数年ほど前のこと、母がまだ30代の頃に、父の転勤に伴って国立公園内のある地域に引っ越しました。
少し集落を離れれば、そこは好きなようにまるで自分の土地のように山林に入ることができました。


母が山桜の花を枝から折って持ち帰ろうとした時に、たまたま通りかかった人に「それは窃盗罪ですよ」と注意されたそうです。


あれから半世紀ほどたっても、母の心にうずく何かを残した忠告だったのでしょう。
30代ぐらいで人からとがめられたら、恥ずかしさが転じて相手への憎しみにもなるかもしれない年代ではないかと思います。
でも、母はその忠告をむしろ大事にしてきたようです。


私もあの菜の花を摘んで行った人たち、踏みつけていた人に、そっと忠告したほうがよかったのかもしれない。
もしかすると、年齢に関係なく、それで次回から思いとどまってくれたかもしれないですから。
見て見ぬ振りをしたことも、やはり心がうずくものです。



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