数字のあれこれ 17 <時間と充実感>

以前、「退屈に耐えられない」の中で、当時は「起きてからちょっと家の中のことをしていたらもう午後になり夜になり、一日が終わりという感じです」と書きました。


ブログを書く時間も必要ですし、泳ぎに行けば2〜3時間はあっという間に過ぎます。
休日は、出勤日には片付かなかったことをして泳いで、あっという間に時間が過ぎていきます。
さらに父のところへ面会に行く日は、その往復だけで数時間が終わります。
退屈どころか、一日が24時間ではなく30時間ぐらい欲しいと思っていました。


あれからわずか2年と少しなのですが、時間の使い方によってはこんなに違うのかと自分自身の変化に驚いています。


最近、泳いだあとに歩くようになりました。
電車やバスを使えば20分ぐらいの距離ですが、川辺や公園を選んでいつもとは違う道を歩くようにしてみました。



「散歩をする」で書いた以外にも、すでにいくつもの道を歩いています。


初めての道だったり、ずいぶん昔に通った記憶がある程度の地域ですから、距離にすれば1回6〜7kmぐらいでも場所を確認しながらゆっくりと歩くので、だいたい2時間以上はかかります。


途中で、景色の良い場所を見つければしばらく座って眺めてみたり、美味しそうなお店があればそのまま早めの夕食にして寄り道をすることもあります。


疲れたら、途中で計画変更して、また違う道をさがしてみます。


2年ぐらい前だったら、この2〜3時間をこんなゆっくりと歩くことに使えるなんて思いもよらなくて、なんだかいつも気持ちが焦っていました。
「泳いだら早く家に帰ってあれもしなければ、これもしなければ」と。
結局、家でもうだうだしていただけなのですけれど。


今はただただ2〜3時間を歩いているだけなのに、不思議とあの時間に追われるような焦った気持ちがなくなりました。
歩きながら考え、道ばたの史跡を発見しては歴史がつながったり、回想の世界へと引き込まれたり。
家にたどり着く頃には、心地よい疲労感と充実感です。


24時間は同じはずなのですけれど、不思議ですね。



・・・でも、もしかしたら一番、削ったのが食事の準備と後かたづけに費やす時間かもしれません。
散歩のついでに美味しいものを食べることで、家に帰ってから食事を作ったり片付けをしなくてすむことは本当に楽チン。
そりゃまあ、どこかで帳尻を合わせなければ、1日24時間が増えるわけがないですものね。



そして、こういう散財によって、社会の中で小金がまわっているのだと思うことにしています。









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