近鉄線畝傍御陵前で下車して吉野川分水歴史展示館を訪ねたあと橿原(かしはら)神宮駅まで歩くのですが、途中、孝元天皇陵の周濠である大池に立ち寄る計画でした。のどかな畦道を抜け春の花の一斉に咲き始めた道を歩くと、お花見でしょうかけっこうな人がそちらへ歩いていき、目の前に数メートルほどの高さの堰堤が見えました。
この高さから先ほどの水田にも水が送られていたのでしょうか。
上り坂を見て立ち寄るのはやめてそのまま橿原神宮駅へ行きました。駅構内に大好きな柿の葉寿司が売られています。吉野口駅の近くで今度こそ買おうと思っていたのですが、誘惑に負けてここで購入しました。
前回吉野口駅に向かった時にはJR高田駅から和歌山線に乗りましたが、今回は近鉄線で飛鳥のあたりの風景を見ながらです。奈良は近鉄とJRが同じ方向へ網の目のように通っているので、違う風景を見ることができるのも楽しいですね。
葛(くず)駅を過ぎたあたりから、東西分水工のあたりを見逃さないようにしていましたが、予想以上の山の斜面でした。
おそらく予定した時間で往復するのは無理そうなので東西分水工を見るのはあきらめ、吉野口駅では下車せずにそのまま下市口駅へむかうことにしました。
幻の東西分水工と二度目の幻の柿の葉寿司になりましたが、橿原神宮駅で買っておいてよかったです。
*下渕頭首工へ*
山あいを抜けて少し吉野川が近くに感じられるような場所になって、12時3分下市口駅に到着しました。
駅の北側は急な上り坂で、南側は吉野川へ向かって下り坂です。なんとも急峻な場所に街ができ、鉄道が通っています。
初めて歩く街ですが、なんだか懐かしい雰囲気を感じたのでふと横道に入ってみると、木の格子戸のある家に「内科 小児科 前坊醫院」と縦書きの古い看板がかかっていました。いつ頃までこの地域の医療を担っていたのでしょう。
車窓から見るよりも、路地には古い家並みが残っています。さらに川へ向かって歩くと、昔は水路だったと思われる細い道沿いにどっしりとした木造の大きな家と蔵がありました。質屋さんのようです。
ここで吉野川沿いの国道309号線に出ましたが吉野川を眺めながらのんびり歩くことは無理で、車を避けながら白線だけを見て狭い歩道を命からがら歩いた感じです。
その先に、吉野川が大きく蛇行している場所が見えました。
「大峯登山一之行場 鈴ヶ森行者堂入口」という標識があり、川のそばへと向かう道があるようです。
どこから吉野川分水堰を見ることができるのかよくわからないまま、その道を辿ってみました。
まず吉野川の上流側が見えました。堰の上なので水量が多いと想像していましたが、それほどでもなくゆったりと流れています。
どこからともなく木の良い香りがします。対岸に製材所が見えました。
道なりに曲がっていくと、今度は下流側が見えてコンクリートの堰が見えました。そこから先がまた南へと大きく蛇行して、右岸側は小高い場所があり左岸側は少し平地が広がっていて、水はここで山にぶつかる場所のようです。
左岸側は護岸工事が行われていました。
堰の上流側にコンクリート製の水路のようなものが見えるので、あれが下渕頭首工でしょうか。
意識しなければどこでも見かける小規模の堰と思ってしまいそうな場所でしたが、江戸時代からの悲願の分水工であり、この水が奈良盆地の広大な水田地帯を潤すことを知ったので感無量です。
ここから導水管で送られた水を分ける東西分水工を訪ねるのはあきらめたので、時間に余裕ができました。
鈴ヶ森公園で吉野川と堰を眺めながら、柿の葉寿司でお昼ご飯にしました。
真っ青な空、美しい吉野川の水音、春の訪れを感じる日差しと鶯の鳴き声だけの静寂。
なんと贅沢な時間でしょう。
来た甲斐がありました。
小さな公園ですが「県立津風呂自然公園」の標識があり、「水神⚪︎降臨之地」いう大きな石碑がありました。(⚪︎は読めず)
どんな思いや歴史がある石碑だったのでしょう。裏側を覗き込みましたが、わかりませんでした。
下市口駅までは違う道を通ってみましたが、古い家や蔵が残り、小さな畑と春の花が咲いて美しい落ち着いた街でした。
大淀町、どんな歴史を積み重ねてきた街なのでしょうか。
2006年以来、この地域はどんな場所なのだろうと実際に訪ねてみたいと思っていた課題をひとつ終えると共に、新たに街の歴史に関心が出てきました。
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