行間を読む 66 <「カワウの保護管理ぽーたるサイト」>

1970年代に絶滅の危機にあったカワウが保護されて、それで不忍池で無事に仲間を増やしているのかとほっとしてカワウを読んでいたら、「分布拡大による問題点」があって、事は簡単ではなさそうです。


カワウは営巣時、生木の枝を折り取るため、コロニーでは樹木の枯死が広範囲にわたって起こることが多い。また、多量の真っ白な糞によりコロニーや採餌場所では水質・土壌汚染、悪臭、景観の悪化などを招く他、糞が植物を(*ママ)葉を覆って光合成を阻害し植物を枯らす。日本の大コロニーとしては、不忍池や琵琶湖の竹生島が知られているが、後者は1983年(昭和58年)の生育確認から、わずか10年近くで3万羽を数えるまでに拡大したことで注目を集めている。竹生島のコロニーからは若い個体が日本各地へ巣立ちをしており、中には九州まで到達した個体も認識されている。こうした生息域の広がりは、地域固有の環境を破壊したり、漁業などによって人為的に放流されたアユやアマゴなどの漁業被害を与えるなど深刻な状況になっている。


一旦は、絶滅のおそれがあって不忍池に移送して保護されたカワウが、今度は農水産業被害をもたらす鳥として2007年に鳥獣保護法に基づく狩猟対象になったことが書かれています、


これを読んでいると、以前なら「人間は勝手だな」「自然を守れ!」といった感情が先に立って、カワウに肩入れしたくなったと思うのですが、私も少し成長して「これは『環境』という境界線の折り合いの付け方の変化なのだろう」と心を落ち着けて読むことができました。



環境省の「カワウの保護管理ぼーたるサイト」>



Wikipediaの「カワウ」の外部リンクに、「カワウの保護管理ぽーたるサイト」がありました。


その中の「カワウの生態と保護管理の背景」に、「生息状況の変遷」がまとめられていました。

近世のわが国におけるカワウの生息状況は大きく3つの変化相を経ている。20世紀前半までにおける全国的な生息の時期、1970年代を底とした急激な減少期、そして1980年代以降の回復期である。

1970年以前のカワウの分布や個体数などの生息状況の記録は断片的なものしかないが、アンケートと文献調査により、青森、福島、茨城、千葉、東京、岐阜、愛知、三重、兵庫、大分、宮崎、鹿児島の1都11県における生息は確認されている。また生息状況そのものではないが、過去の鳥獣関係統計(狩猟統計)により間接的にその生育状況が推定できる。1950年代以前にが、カワウは本州以南の内陸部も含めた広い地域に分布していたことがうかがえる。この統計によると1930年代における捕獲総数は、狩猟数と駆除数を合わせて年7,300羽以上に達しており、全国における生息数はこれよりも遥かに多かったと考えられる。

その後、カワウの生息数は減少し、各地にあったコロニーやねぐらは消失して生息域が分断化し、レッドデータブック絶滅危惧種に相当すると推定される段階にまで落ち込んだ。1971年には、関東で最大だった千葉県大厳寺のコロニーが消失し、残ったコロニーは愛知県境の大和大分県沖黒島、それに上野動物園の飼育個体に由来するコロニーのみとなり、全国で青森県、東京都、愛知県、三重県大分県に各1カ所ずつ、わずか5カ所程度であった。

関東地方では1970年代前後の高度経済成長の時代に、主要な捕食場所である内湾の埋立や水質汚染などが進行し、その結果カワウの採食環境が悪化し個体数が減少したと考えられている。またダイオキシン類などの化学物質汚染の影響によって繁殖が低下した可能性も指摘されている。世界的に見ても同様の現象が見られ、ヨーロッパのカワウや北米のミミヒメウは、1970年ごろにかけて減少し、その原因として環境中の有害化学物質の備蓄、植物資源の現象、狩猟圧などによって繁殖力が低下したことが報告されている。

1980年代にはいると、関東地方や愛知・三重を中心にコロニーの分布は拡大していった。関東地方のねぐらの分布もこの時期に拡大し、近畿・中国・四国地方における観察報告もこの時期に増加している。分布拡大や個体数の回復の要因についてはよくわかっていないが、コロニーの保護、水質改善、また撹乱による分散などの複合的な要因によって、もとの状態に戻りつつあると見ることもできる。1980年代以降、急速に生育分布は拡大していき、1990年から1994年までに1都2府37県、1995年から1998年までに北海道と東北の一部を除いてほぼ全国に広がった。コロニーも、1998年時点で合計47カ所のコロニーが確認されており、1978年からの20年間にコロニーの数は約10倍に増えている。

駿河湾のヘドロもそうですが、1970年代前後の公害の時代が記憶に強く残っているので、カワウにも受難の時代だったのだろうなと想像しています。
「水辺はゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚」だった時代ですから、カワウもあの時代をよく生き延びたという感じでしょうか。


ただし、復活したらしたで今度はカワウによる被害もあるようで、難しいですね。


それでも、環境省のこのサイトを読むと、長い間ずっとカワウについて観察し、保護することを第一にした活動がされてきたことがわかります。
それに関わって来られた方々はどれくらいいて、どんな思いがあったのだろう。
カワウの生活史を観察して来た人たちに関心が沸くのでした。




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