子どもの頃から5月になると毎年、ニュースでこの植樹祭を目にしていました。
物心ついた頃には周囲には緑豊かな山々があったので、この行事は「日本の昔からある豊かな森林を守る」ためだと、あまり疑問にも思っていませんでした。
私が生まれる少し前は日本中から木がなくなっていた時代であったこと、ちょうどその頃から植林された森を見て、「日本は太古から森を大事にしてきた」と勘違いしていたことが見えてきたのは、最近になってからでした。
なんといっても、平城京遷都で荒廃した山の緑化がまだ終わらないほどですしね。
全国植樹祭の第一回は、あの明治天皇の恩賜林謝恩碑が建てられた山梨県だったようです。
*植樹祭のテーマの変遷*
林野庁のホームページに、「全国植樹祭開催状況」という一覧がありました。
第一回目から現在までの開催地と植えられた木の種類などが書かれています。
ちなみに第一回の山梨県甲府市では、「お手植え」されたのはヒノキで、「お手播き」されたのは「スギ、ヒノキ」でした。
そしてテーマは「荒廃地造林」となっています。
はげ山という言葉ができた時代とつながりますね。
今回、全国植樹祭を検索して、初めて毎年テーマがあったことを知りました。
第2回以降、「火山灰地帯造林」「入会原野造林」「海岸砂地造林」「せき悪林造林」「林種転換拡大造林」「荒廃公有林造成」「公有林復興、学校林、青年団体林造成」「原野造林」「林種転換」「積雪寒冷地帯、林種転換拡大造林」「積雪寒冷地帯の拡大造林と屋敷林の造林」「湿雪地帯の拡大造林と森林生産の増大」「粗放林野の拡大造林と生産力増強に基づく住民所得の向上」「入会林野の造成」「林種転換による拡大造林」「拡大造林と環境緑化」「精英樹による拡大造林」「低質広葉樹の高度利用と拡大造林の推移」といったように、植樹祭の行われた地域の問題を踏まえたテーマのようです。
1970年(昭和45年)の第21回(福島県猪苗代町)では、「後継者の森」というテーマがあり、それまでの林業の専門用語ほぼ一色のテーマから、社会問題が含まれたテーマが増えている印象です。
1973年(昭和49年)には「自然の保護と創出」になり、公害とか環境を破壊してきたという反省から環境という言葉がで始めた頃の雰囲気を感じるテーマですね。
さらに、このあたりからは林業の専門用語もなくなり、「自然と産業が調和する豊かな森の創造」「水と緑のふるさとづくり」「みんなで育てるみどりの郷土」「緑で結ぼう山村と都市」「緑と太陽豊かな暮らし」「うえる緑、のびる緑、まもる緑」「たかめよう、緑の力」「今、人と緑のふれあいを」といった、ふわっとしたとでもいうのでしょうか、スローガン的な表現に変化しています。
ちなみに「山村」は「むら」、「都市」は「まち」とふりがながつけられています。
「生命」を「いのち」と読ませる時代の変化に似ていますね。
私にはノンフィクションとフィクションの境界線が曖昧になったような、あるいは自分探しが広がった時代の変化と、このテーマの変化が重なって見えました。
「境界線のあれこれ」まとめはこちら。