最近、夢の島植物園や神代植物園あるいは国立科学博物館筑波実験植物園などの大きな温室を訪れる機会が増えて、カカオが実際に実っているところを久しぶりに見ることができました。
この実からどうやってあの美味しいチョコレートができるのか、どうやって人間はそれに気づいたのだろうと考えると、また気が遠くなる世界へと引き込まれていきます。
神の食べ物とされていたカカオも、チョコレートの歴史を読むと、私たちが今楽しんでいるような加工方法はまだそれほど昔からあったわけではなさそうです。
1828年にはオランダのクーンラート・ヨハネス・ファン・ハウテン(バンホーテンの創業者)はカカオ豆からココアパウダーとココアバターを分離製造する方法の特許を取得した。それまでのチョコレートは濃密で、水無しでは飲めないものだったが、これにより口当たりがよくなり普及が進んだ。
さらにファン・ハウテンはアルカリを加えることで苦味や酸味を除くダッチプロセスをも開発し、現代的なチョコレートバーを作ることも可能になった。
もっとも、ファン・ハウテンの圧搾機が開発された当時は、チョコレートは未だ飲み物であり、抽出したココアバターの使い道がなかった。
その後、固形のチョコレートが作られ、苦かったチョコレートに甘味とまろやかさを出せるようになったのが1875年のようですから、案外、新しい食べ物ですね。
16世紀とか17世紀ぐらいのヨーロッパの貴族が固形チョコレートを美味しそうにつまんでいる姿を勝手にイメージしていたので、もっと古い食べ物かと思っていました。
Wikipediaの「チョコレートの歴史」の「日本での歴史」に、興味深いことが書かれています。
オランダ領東インドを占領した日本軍は、カカオ豆プランテーションや、ジャワ島の製菓工場を接収し、森永製菓や明治製菓にチョコレート製造を委嘱し、陸海軍に納入させた。また軍用に熱帯で溶けないチョコレートも開発された。
熱帯の気候ではチョコレートは溶けやすそうだから、現地ではもう食べられないのだろうなと覚悟して赴任したのですが、市場などでも普通に駄菓子のように売っていて驚いたのでした。
口触りはちょっと微妙でしたが、よくこんな溶けないチョコレートを考えついたと当時は印象に残ったのですが、元をたどっていくと軍用に開発された技術がその地域にも広がったのかもしれませんね。
そして、もしかすると、あのワックスのようなココナッツマーガリンも、日本の植民地支配の時代に開発されたのでしょうか。
カカオの「歴史」には、「原産地であるメソアメリカでは紀元前1900年ごろから利用され」と書かれていますが、紀元前1900年ってどんな時代だったのだろう、その当時はどうやって加工していたのだろうと考えるだけでめまいがしそうな時間の長さです。
ただ、こちらの記事で紹介した「植物はなぜ動かないのか」を読んでいると、生命が生まれたのは38億年前であり、最初は海中にいた生物が陸上に上陸して植物の原形のコケのような物へと変化したのが4億7000年前だと書かれています。
そこから長い長い時間をかけ、カカオの木ができて、それが食べられるものになることがわかれば、当時の人たちが「神は良しとされた」と受け止めるのも理解できるような気がします。
私たちが当たり前のように食べて来たものは、本当に気が遠くなる時間がかかっているのだということを意識しないと、すごい楽園に住んでいることに気づかないまま、一生を終えてしまうのかもしれません。
「食べるということ」まとめはこちら。