人生会議という言葉を追っていたら、「日本人は死について考えていない人が多い」「医療関係者ならわかるはず」という意見をいくつか見つけました。
え〜そんな、わかったつもりも過度の一般化も危険ではないかと思うのですけれど。
たしかに臨床では、「自分や家族が病気になったらとか、もう少し考えていないのか」と思ったことはあります。
「お見送りの時に何か着せたいものがあったら準備しておいてください」とお伝えしても、結局はなかなか持ってきてくださらなくて御臨終の場で慌てて売店に浴衣を買いに行かれたご家族もいらっしゃいました。
ではあのご家族は何も死を考えていなかったのかというと、やはり考えていらっしゃったのではないかと最近は思い返しています。
医療関係者とは違う捉え方や気持ちがそれぞれあるのだろうし、当人たちも言葉にならない想いが。
*母の老い支度*
十数年前に父が認知症になり、その父を自宅で世話をしていた母も施設へと入ることになりました。その時に両親が財産の管理とか自宅の処分とかほとんど準備していないため、長男がその整理から諸手続きまで奔走することになりました。
それ以降も、亡き父の治療方針なども全て私たちが決断することになり、何も考えていないような母に正直なところ苛立つこともありました。
父が献体から戻ることになり、納骨の日程が決まった時に、ようやく車椅子で移動できるようになった母を真夏の納骨のためにどうやって安全に外出させられるかが気がかりで準備していたのですが、母の心配ごとは「大事な数珠がない」ことでした。
ちゃんと喪服も数珠も当日には準備してあるから大丈夫と伝えても、手元にないことでその心配がぶり返すようです。結婚した頃に父に買ってもらったものだそうです。
納骨の当日、棺に入れるものが準備されていました。
父が認知症になってから、「その日」に父のそばに入れるものを母は準備していたのでした。
父が献体から戻ってくるという連絡が入った頃、母は片目を失明しました。
父が亡くなってじきに一度、母は自殺未遂のような状況になりました。
その後、献体から戻ってくるまでとなんとか気持ちを持ちこたえてきたのに、思わぬ失明と納骨という目標がなくなってしまうことで、母の気持ちが切れてしまうことが心配でした。
盛大にアレンジメントフラワーを奮発して送り、カードを添えました。心臓手術で半身麻痺になったり、昨年は骨折で寝たきりになりそうだったのに、そんな状況を乗り越えて車椅子に自力で移れるまで頑張った母のことが誇りに思えるということを書いて。
次の面会で「うれしかった」と母が言いました。
死を考えていないわけではなく、生きることに精一杯な状況が、むしろ死を考えているからだということもあるのかもしれません。
私はエンデイングノートに書くとすれば、「死化粧はしないで」も一つです。
でももしかすると焼死という予期せぬこともあるので、その時には必要なさそうな計画ですね。
さて、私はどうやって老い、どうやって死ぬのだろう。
準備をしていないわけではないけれど、やっぱりわからないのです。
「ケアとは何か」まとめはこちら。